西灘のエントリーが続きますが、ご容赦ください。
国道2号沿い、西灘小学校の目と鼻の先にアダルトショップ「パパと
ママの店」ができたのは今から30年以上前だっただろうか。
当時界隈の子どもたちは、新しいオモチャ屋ができるのかと大騒ぎした。
しかし、この店には子どもたちが楽しめるようなオモチャはなかった。
パパとママの店は寡黙だ。
通りから中の様子をうかがうことはできない。
見えないだけに、子どもたちの胸は期待にふくらんだ。
「あの店、コケシ売ってるねんて。電池で動くらしいで」
「コケシ?マジンガーZとかとちゃうん」
「ウルトラコケシいう名前やて」
「そんなウルトラ兄弟聞いたことないわ」
店の前で残念そうな顔をしている低学年に、高学年の兄貴分が
「ウルトラマンよりオモロいねんで」と指南した。
西灘小学校区は灘区初のラブホテルが建設されたり、通学路にポルノ
雑誌の自動販売機が設置されたりと、灘区内では比較的「ませた」校区
で、ポルノ撲滅に血眼になっている大人たちをよそに、子どもたちは
街なかの日常の性とクールに接した。『ウィークエンダー』などで知識を
仕入れていた子どもたちは、店で売られていた「電動バイブWカリ仕上げ」
が、どういうものか薄々気づいていた。
店の北には小さな村社、猿田彦神社があり聖と俗が道一本隔てて同居し
ていた。猿田彦の天狗の面とパパとママの店で売っている天狗の面の
違いを知ることもこの地区ではマストだ。
「摩耶十三丁は馬でも越すが、越すに越されぬパパとママ」と詠われた
パパとママの店は、西灘っ子が越えなくてはならない大人の階段だった
のだ。
艶っぽい取扱商品群とは裏腹の、円弧と直線のモダンな組み合わせが
印象的な「パパママPOP体」は、市章山のイカリマークに通じる街の
アイコンだ。遠く灘を離れた元クミンが帰省した際、あの看板を見て
初めて「灘に帰ってきた」とほっとするという。
灘東部のランドマークが「傾いた喫茶店」なら西は「パパとママの店」
と言われるほど、誰でも知っているビューポイントでもある。
タクシーに乗って行き先を告げるとき「パパとママの先を左折して
ください」などと口走ってしまい、車内が少し気まずい空気になった
という経験をした灘クミンもいるに違いない。
「パパとママの店、閉店したらしい」
そんな噂を聞いた。
ネットショップとしてリスタートするという話もある。
看板にはツタが茂り「店」の字が消えかかって「パパとママの…」
になっていた。
切なかった。
パパとママの…
そう言いかけたまま、震災を乗り越えた昭和のオトナの店がまた
一つ去ろうとしている。