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2010年2月9日(火曜日)

奥摩耶の銀盤

カテゴリー: - naddist @ 11時00分09秒

まだ2月だというのにあたたかい。
やはり冬は寒くないと困る。
灘クミンとしは、バンクーバー冬季五輪よりも氷の彫刻作りが始まった「六甲山氷の祭典」
気になる。六甲山の冬の目玉イベントだが、今まで雨や気温上昇で難度も泣かされてきた

山上の氷を切り出して運んだ「アイスロード」という道もあるくらい六甲山と氷の縁は深い。
六甲山や摩耶山にある大小無数の池にはかつてのような分厚い氷は張らなくなったが、
かつては六甲山上の八代池、三国池、ひょうたん池などは天然のスケートリンクとして多くの
滑走客で賑わった。
シーズンになると六甲ケーブル下駅に各池の滑走の可否が表示された。
今からさかのぼること74年前の昭和11年に開催されたドイツ・ガルミッシュオリンピックの
女子フィギュアスケート日本代表、稲田悦子嬢は六甲山の八代池で練習していた。
今で言えば浅田真央が六甲山でトリプルアクセルを練習しているようなもので、
灘クミンとしては冬の五輪トピックとして記憶しておきたい。
昭和27年には、本格的なスケートリンクとして「新池スケート場」がオープン、
しかし年々暖冬になり氷の張る期間が少なくなり、次第に市街地のインドア型のスケートリンクに
客を取られていった。

奥摩耶スケート場

摩耶山にも小さなスケート場があった(写真上)。
昭和30年、摩耶ロープウエー開通と同時に、奥摩耶(現在の掬星台周辺)観光の目玉として
奥摩耶遊園地がオープン。自然の地形を生かした園内には様々な施設があったが、掬星台から
徒歩5分ほどの場所に「奥摩耶アイススケート場」が開設された。
オープン当初は賑わった奥摩耶遊園地もやがて来園者が減少し、ジェットコースターなどの
大型遊具もいつしか撤去された。奥摩耶スケート場も自然に戻され、摩耶自然観察園内の
「あじさい池」として第二の人生を送ることになった。
初夏になると周囲があじさいで埋め尽くされ、特に霧に覆われた時は浮世離れした幻想的な
風景が広がるあじさい池は、あじさいの名所として知られるようになったが、スケート場
時代の痕跡を見つけることができる。

あじさい池

古い写真と見比べていただきたい。
「奥摩耶スケート場」という看板が設置され、客がつかまった手すりが池の周囲にひっそりと
残っている。(写真下)
完全に撤去されたわけでもなく、廃墟化したわけでもない。
思いを巡らすことのできる頃合いの昭和の痕跡が心地よい。
この池は谷間にあるので、今でも厚い氷が張る。
「あじさい池」などという名前をつけられてしまったために、冬訪れる人は少ないが
「昭和の冬」を感じることのできる貴重な場所なのだ。
池の近くには立派な氷の滝があり、ひそかに「奥摩耶滝」と名付けている。

奥摩耶スケート場の手すり

地球温暖化は摩耶山や六甲山から冬を奪う。
氷の張らない摩耶六甲なんて、クリープを入れないコーヒーみたいなものなのだ。
せめて今週末はキンキンに冷える昭和の六甲山が戻って「氷の祭典」が無事開催されて
欲しいと思う。
 
 
 

写真:『写真で見る公社索道事業の歩み』(財団法人神戸市都市整備公社、昭和60年


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