現代は「待てない」時代だそうです。
なんでもかんでも手っ取り早くすませたい。
待たされるとキレたりする。
六甲道名物「開かずの踏切」がなくなって35年ほど経ちました。
その名の通り、人も車も延々待たされた踏切。
JRが高架化されてなくなって便利になったわけです。
「でもな、開かずの踏切、ええこともあってんで」
と六甲道暦50余年のクミン。
「踏切が閉まっとうあいだ、好きな子とな、しゃべれるねん」
つまりですね。
淡い恋心を寄せていた女の子と過ごす踏切待ちの時間が楽しみだったらしいのですね。
声をかけて呼び止めるわけでもなく、自然と隣同士になれる。
お互い前を向いているので視線が交錯しない。
などの「踏切効果」により、自然なコミュニケーションが生まれる場であった
というわけです。
で、この踏切、なかなか開かない。
メトロノームのようにリズムを刻む警報機にシンクロする胸の鼓動。
貨物列車がガタンゴトンゆっくり通り過ぎるのを待ちながら、ドキドキしながら
延々待つわけですね。
つまり延々しゃべり続けるわけです。
下手したら20分くらい。
「俺は踏切で会話テクを磨いたんや」
街のネガティブな面を逆に利用して自らをスキルアップさせる。
不便なものをあるがままに受け入れ、ポジティブに反転していく。
これぞ街達人です。
街で暮らす、学んでいくとはこういうことなんだろうなと。
その後も彼の「踏切トーク」は途切れることなく延々1時間続きました。
これでは、踏切で話しかけられた彼女も大変だったでしょう。
待つことによって熟成されること。
待てた街。
街には「待ち」の要素がなければきっと熟成しない。
「春を待つ」ライブハウスや踏切が消えた六甲道を便利さのみが優先される
コクのない街にしないためには「待ち」が必要かと。
え?
みんな回転寿司屋の前で待ってるって?携帯メールしながら?
そこに「開かずの踏切待ち」のような豊かな時間はあるんですかね?
写真:『灘のうつりかわり』(灘区勢振興会)より