震災翌日の1995年1月18日の22:30。
当時住んでいた東京から持てるだけの救援物資を背負い込み、西宮北口から
歩くこと4時間。実家へ向かう道すがら、私は桜口の交差点にいました。
西宮、芦屋、そして神戸市内に入っても東灘区あたりではまるで人ごとのように
歩いていた身体に変化が表れたのは、石屋川を越えて桜口にさしかかるころ。
猛烈に涙が止まらない。
普通、涙がでるときは感情が伴うはずなのですが、不思議なことに悲しいとか、
悔しいとか、つらいとかまったく感じなかったように思います。
むしろ目にゴミが入って涙が止まらなくなるような、そんな感じに近かった
かもしれません。
十数年振りに訪れた桜口交差点周辺には、漆黒の闇の中につんのめった亀の
ような「コトブキ」と、波に打ち上げられた鯨のような「八幡市場」が横た
わっていました。
それまで無機的であった灘区という街が、1つの大きな生命体に見えた瞬間
でもありました。奇しくも震災よって、今まで気づかなかった街の生命に
気づかされたのかもしれません。
その生命が目の前で息も絶え絶えに横たわっている。
建物一つ一つ、信号機1本、店の看板1つ、路傍の1握りの土塊まで愛おしい。
六甲道で生まれ育ったわけではないのになぜか狂おしく愛おしい。
メルマガ「naddist」や「ナダタマ」開設の原点となる風景が桜口にあった
といっても過言ではありません。
今、巨大な六甲道南公園で遊ぶ子どもたちは震災を知らないだろうし、その
両親もこの街がどういう街だったか気にも留めていないように見えます。
この新しい街が、どういう街の上にできあがっているかをこの「永遠の六甲道」
で少しでも伝えられればいいなと。
ただし、単なるノスタルジックブログにはしたくないと思っています。
「懐かしいね」「昔は良かったね」では、震災前の六甲道が浮かばれないし、
今この街で暮らす新クミンの皆さんに対しても失礼です。
新しくて巨大で無機的な六甲道が「建物一つ一つ、信号機1本、店の看板1つ、
路傍の1握りの土塊まで愛おしい有機的な生命体」になりうるかどうかを
過去を参照しながら見いだし、見極め、伝えていくのが「永遠の六甲道」の
テーマだと思っています。
今年もおつきあいの程、よろしくお願いいたします。
震災によってこの街でなくなられた方のご冥福をお祈りいたします。
合掌
(写真:『ウェルブ竣工記念誌 We love We Live』より)