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2009年11月17日(火曜日)

帰ってきた傾いた喫茶店(2)

カテゴリー: - naddist @ 17時00分52秒

11月14日。
イースト水道筋の一角、骨董通りの路地に、昨年末に閉店した永手町の傾いた喫茶店こと
「レードルのアレ」の甘酸っぱい芳香が漂った。
限定20皿分はすべて予約済み。
あとはお客さんを待つだけだ。

「看板はいらんのちゃう?レードルよりミニ言うたほうが分かる人多いし」
店頭に置かれたレードル時代の看板を見てマスターが照れくさそうに笑った。
「ミニ」という名前があまり好きではなかったので店名を変えたという。
六甲模型に行くときによく目にしていた「ミニ」に、初めて行ったのは
高校生の頃、日尾町の友人宅に行った帰りに寄ったような記憶がある。
2階の窓際席で、たしかアイスレモンティを飲んだ。
1階にはアップライトのピアノ、2階にも楽器が置いてあった。
当時はしばしば店内でライブもあった。

「あ、CD忘れた!なんか音楽ある?」とマスター。
「なんでもいいっすか?」
はて、BGMは何がいいだろう。
手元にあったiPodをブラウズして「はっぴいえんど」を選んだ。
昭和45年、市電が廃止された直後の山手幹線に姿を現した傾いた喫茶店の風情と
同時期にデビューしたはっぴいえんどの『花いちもんめ』の歌詞がリンクした。

 ぼくらが電車通りを駆け抜けると 
 巻き起こるたつまきで街はぐらぐら 

やがてカレーの香りに引き寄せられるかのようにお客さんが集まってきた。
メニューは1種類なので、誰もオーダーはしない。
黙って座っていると、「アレ」が出てきた。
もちろん皿もスプーンもすべてレードル時代のものだ。
14個の紅玉と14個の玉ねぎとホールトマトをじっくり煮込んだ無水カレー。
「今日は商売やないからステーキ用の肩ロースも入れてん。せっかく来てくれるねんからね」
と、寡黙なマスターがぽそり。
それ以上、会話があるわけではない。
特に復活の高揚感があるわけでもない。
寂として声無し。
みな黙々とスプーンを口に運ぶ。
一口食べると口に広がる衝撃的な甘酸っぱさと濃厚な旨味。
そしてその後にやってくるじんわりとした辛さ。
激辛ではないが、体の芯から汗が吹き出す。
味の時間差攻撃、タイムラグがこのカレーのキモだそうだ。

午後3時、全てのカレーがなくなった。
「最初つくったときは感動したんやけど、今食べたらそうでもないな」
誰もいなくなった店内で、マスターは少し残ったカレーを食べて言った。
店の外の昭和の面影を色濃く残す路地には柔らかい秋の光が射し、レードルの
看板越しに摩耶の山並みと青い空が見える。

 紙芝居屋が店をたたんだあとの 
 狭い路地裏はヒーローでいっぱい

店内にはまた『花いちもんめ』が流れていた。
「でもやっぱりBGMは『シバの女王』がええな」
来年復活する時は用意しておきます。


2009年11月5日(木曜日)

帰ってきた傾いた喫茶店

カテゴリー: - nada @ 18時00分26秒

ナダタマ本部には灘の遺物がたくさんある。
昔の灘中央市場や閉店した古い店舗の切り文字看板、取り壊された古い家の塀、
篠原の茅葺き屋根の家の茅、はたまた旧十国展望台のマッチ箱や六甲・凌雲荘の
ビニール袋などの小物類まで。
一般的には「ゴミ」と呼ばれるもの。
どれも私にとっては宝物なのだが、まず理解されない。

「またそんなゴミ拾てきて!捨ててきっ!」
「いやこれは灘的には…」
「ナダ的もヒガシナダ的もないわ!このドロガメ!」
などと人生幸朗・生恵幸子ばりに叱責されるのがオチだ。
でもそれでいい。
ちょっぴり後めたい気持ちがあるくらいじゃないと、きっと歯止めがきかない。
放っておくと「灘のゴミ屋敷に周辺住民困惑」なんて、朝ズバッ!8時またぎあたりで
取り上げる恐れがある。
「いやあ、まったく理解できませんねェ」
などと、みのもんたにあしらわれたんじゃたまらない。
灘の森羅万象を愛する「灘魂思想」では、これらのゴミはすべて灘のタカラモノなのだ。
モノには街のモノガタリがある。
耳を澄ませばいろんな音が聞こえてくる(ような気がする)
目をこらせばいろんな情景が浮かんでくる(ような気がする)
なによりも、灘に存在してきた空気感(オーラ)が愛おしい。
いつか原田の森ギャラリーを借りて「大灘区至宝展」をやりたいと思っている。
もちろん至宝とは「旧臨港線の石ころ」「摩耶山茶店跡に落ちていたラムネ瓶の破片」
「ハイジの花壇に使われていたレンガ片」などだ。
総額0円の宝物に、できればものものしく警備員も配置したい。
きっとみのもんたには理解されないだろうけど。

レードル看板

「看板?もういらんから持って行ってもええよ」
昨年末、閉店した「傾いた喫茶店」こと永手町の「レードル(旧ミニ)」の看板をマスターから
譲っていただいた。
ただし今回のブツは今までのコレクションとは訳が違う。
健康上の理由でやむを得ず店を畳んだマスターの寂しそうな背中を見て、ある企てを思い
ついた。
かつての記憶を今の街で生かしていくこと。
ノスタルジックに浸るだけでなく、古いものに
新たな物語を積み重ねていくこと。
記憶のリサイクル。

このプロジェクトは「リメインダーズ・オブ・ザ・レードル・サクセション(レードルの
残り物の継承)」コードネーム「RLサクセション」と名付けらた。
レードルで使われていた椅子は畑原市場の「チンタ本店」へ、ステンレス製の水差しは
畑原東商店街の「スタンドモンク」へ、カトラリーや食器は日曜カフェ「kakke cafe
やパスタ屋「Tetz」、タイ・フィリピン料理の「Asian Rabbit」へ。
それぞれの店でまた物語を紡ぐことになった。

10月のある日、レードルマスターから電話があった。
体調もだいぶ良くなったとのこと。
「そろそろカレー、つくろか?」
ハンバーグとともに傾いた喫茶店の名物メニューだったカレー。
そうか…そういやそろそろ「アレ」の季節か。
知る人ぞ知る、知らない人は知らないレードルの「アレカレー」。
秋から冬にかけてしかつくれない「アレカレー」が、今年も帰ってくる。
そんなこんなで、水道筋で一日だけの「傾いた喫茶店」を復活することになった。
その名もカレースタンド「傾いた喫茶店」。
RLサクセションプロジェクトの最終章だ。

さて、いよいよ10ヶ月前にもらった看板の出番だ。
単なるノスタルジックなコレクションなんかじゃない。
この日のためにマスターからいただいたのだ。
六甲道で行き場を失った「昭和の看板」は、水道筋であたたかく迎え入れられるはずだ。
2009年11月14日、水道筋の路地に「手づくり料理 レードル」の文字が踊る。

アレカレー

カレースタンド「帰ってきた傾いた喫茶店」11月14日(土)昼のみ水道筋で特別営業します。
※メニューはカレーのみ、仕込みの都合上20食しかご提供できませんので、
 予約優先とさせていただきます。
詳しくはこちらをクリック↓
カレースタンド「帰ってきた傾いた喫茶店」


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