11月14日。
イースト水道筋の一角、骨董通りの路地に、昨年末に閉店した永手町の傾いた喫茶店こと
「レードルのアレ」の甘酸っぱい芳香が漂った。
限定20皿分はすべて予約済み。
あとはお客さんを待つだけだ。
「看板はいらんのちゃう?レードルよりミニ言うたほうが分かる人多いし」
店頭に置かれたレードル時代の看板を見てマスターが照れくさそうに笑った。
「ミニ」という名前があまり好きではなかったので店名を変えたという。
六甲模型に行くときによく目にしていた「ミニ」に、初めて行ったのは
高校生の頃、日尾町の友人宅に行った帰りに寄ったような記憶がある。
2階の窓際席で、たしかアイスレモンティを飲んだ。
1階にはアップライトのピアノ、2階にも楽器が置いてあった。
当時はしばしば店内でライブもあった。
「あ、CD忘れた!なんか音楽ある?」とマスター。
「なんでもいいっすか?」
はて、BGMは何がいいだろう。
手元にあったiPodをブラウズして「はっぴいえんど」を選んだ。
昭和45年、市電が廃止された直後の山手幹線に姿を現した傾いた喫茶店の風情と
同時期にデビューしたはっぴいえんどの『花いちもんめ』の歌詞がリンクした。
ぼくらが電車通りを駆け抜けると
巻き起こるたつまきで街はぐらぐら
やがてカレーの香りに引き寄せられるかのようにお客さんが集まってきた。
メニューは1種類なので、誰もオーダーはしない。
黙って座っていると、「アレ」が出てきた。
もちろん皿もスプーンもすべてレードル時代のものだ。
14個の紅玉と14個の玉ねぎとホールトマトをじっくり煮込んだ無水カレー。
「今日は商売やないからステーキ用の肩ロースも入れてん。せっかく来てくれるねんからね」
と、寡黙なマスターがぽそり。
それ以上、会話があるわけではない。
特に復活の高揚感があるわけでもない。
寂として声無し。
みな黙々とスプーンを口に運ぶ。
一口食べると口に広がる衝撃的な甘酸っぱさと濃厚な旨味。
そしてその後にやってくるじんわりとした辛さ。
激辛ではないが、体の芯から汗が吹き出す。
味の時間差攻撃、タイムラグがこのカレーのキモだそうだ。
午後3時、全てのカレーがなくなった。
「最初つくったときは感動したんやけど、今食べたらそうでもないな」
誰もいなくなった店内で、マスターは少し残ったカレーを食べて言った。
店の外の昭和の面影を色濃く残す路地には柔らかい秋の光が射し、レードルの
看板越しに摩耶の山並みと青い空が見える。
紙芝居屋が店をたたんだあとの
狭い路地裏はヒーローでいっぱい
店内にはまた『花いちもんめ』が流れていた。
「でもやっぱりBGMは『シバの女王』がええな」
来年復活する時は用意しておきます。