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2009年8月26日(水曜日)

下町の小さな山

カテゴリー: - naddist @ 09時00分10秒

灘区の山と言えばほとんどの人が六甲山、摩耶山の名前をあげると思う。
あるいは長峰中出身なら長峰山とか。
とにかく灘区の北側はすべて山で、六甲ケーブルに摩耶ケーブル、ロープウェー、そして
有馬へ抜ける六甲有馬ロープウェーと実に4路線ものケーブル、ロープウェーネットワーク
がある日本有数の山の街なのだが、そんな背山とはひと味もふた味も違う、街の中にひっそり
とたたずむ山がある。
しかもすぐ南には国道43号線が走り、北を阪神特急がけたたましく駆け抜ける灘の下町に。

灘区の浜手の街、都通。
阪神西灘駅から南へ3分ほど歩くと、標高7〜8mの小さな山「大塚山」がある。
正式名称は西求女塚古墳。灘が誇る前方後方墳だ。
三角縁神獣鏡が出土し、世紀の発見として一躍脚光を浴びたのも記憶に新しい。

しかし地元の古老たちはこの古墳を「大塚山」と呼ぶ。
昭和初期、大塚山には大きな屋敷があった。
屋敷には釜風呂をひっくり返したような屋根の茶室や、
中国風の奇妙な門、そして山を囲むように観音様が配置され
八十八カ所巡りができたという。
摩耶山や一王山とまったく同じような「ミニ八十八カ所巡りスポット」が浜手にあったと
いうことは興味深い。
ここは子どもたちにとっても格好の遊び場で、ガキ大将たちが山に登り周りの街を見渡した。
彼らにとってはここが「Top Of The World」だったに違いない。
やがて戦争になり、大塚山の屋敷も灰燼に帰した。
戦後、大塚山はまた山に戻る。
昭和36年大塚山は公園として整備され、子どもたちの歓声が戻ったが
子どもたちは公園とは呼ばず、やはり大塚山と呼んだ。



昭和初期の大塚山(写真協力:本田様)

大塚山の南東角にはたくさんの観音様が無造作に安置されている。
それぞれには番号がふられている。
八十八カ所巡り時代の観音様たちだ。
通常公園内に地蔵や観音様が安置されることはない。
宗教云々っていうやつだ。
ふざけんなといいたい。
お地蔵さんや観音様はここが神戸市に編入されるずっと前からこの地にいるのだ。
摩耶山もそうだ。
旧天上寺が延焼し、敷地が公に移管されたとたん摩耶山中の野仏たちは
全て撤去された。
過去を振り向かない神戸らしい対応ともいえるのだが、過去へ礼をつくさない
実に味気ない態度だ。
(しかも残しておけば観光スポットになったかもしれないのだ)

大塚山は違った。
公園化されても石仏は撤去されずに残された。
地域の人の強い思いがあったのだろうか。
あるいは撤去できない「なにか」があったのかもしれない。
8月23、24日には大塚山では地蔵盆が行われる。
深い歴史を刻んだ昭和の証人たちが地元の人々の提灯で彩られ、
子どもたちがそっと手を合わせる。

草に覆われた大塚山の頂上に登ってみた。
すぐ南を大型トレーラーが行き交ってるとは思えないエアポケットのような空間。
かつてはここから、雄々しい摩耶の山並みや、白砂青松の美しい砂浜が見えたのだろう。
今は頭上に青い空がぽっかりと見える。
下町の知られざる山、大塚山。
是非この山に登って、ひっそりと残る足下の歴史を味わって欲しい。


大塚山(求女塚西公園)
神戸市灘区都通3-1
アクセス:阪神西灘駅より徒歩3分


大きな地図で見る


2009年8月13日(木曜日)

マヤ遺跡群

カテゴリー: - naddist @ 19時00分38秒

蒸し暑い日が続く。
心配ない。灘区には山がある。
下界との温度差5°
まだクーラーがなかった昭和の初め、灘クミンは摩耶山の天然クーラーで涼をとった。
電鉄系の施設が多く「よそいきの避暑地」として開発が進んだ六甲山に比べ
摩耶山は天上寺を中心とした「地元の避暑地」としてにぎわった。
普段ならケーブル、ロープウェーを乗り継いで上がる摩耶山だが、
夏は是非ケーブル虹の駅で下車し、昭和の避暑地をたどっていただきたい。

まやビューラインの中間駅「虹の駅」から旧天上寺までの参道には今も昭和が残っている。
いわゆる「マヤ遺跡群」だ。
昭和初期はまだロープウェーもなく、ここが摩耶山上駅だった。
駅前にはかつて「摩耶一茶」という茶店があった。
「ここのうどんはおいしかった!」というクミンは私だけではあるまい。
摩耶ロープウェー虹の駅までの間には、ほかに5〜6軒の茶店や射的場がならんだ
天上寺門前街といった風情だった。

摩耶一茶跡

摩耶一茶跡

両側に草が生い茂った石段をのぼり、小さなほこら「高尾明神社」を過ぎ、
しばらく行くと「摩耶花壇」と呼ばれる廃屋が残っている。
サウナ風呂や入院施設のあった療養所だったそうだ。
摩耶の清々しい空気を吸いながら、患者たちは英気を養ったのだろうか。

摩耶花壇跡

摩耶花壇跡

このあたりは旧天上寺の塔頭跡の構造物が草の下で静かに横たわっている、
上野道への分岐点に地蔵の祠があるが、このあたりに「下のアメヤ」と呼ばれる茶店があった。
おはぎ、ぜんさい、きな粉餅、焼きとうきびなどの甘味などがあったが、なんといっても
ここの名物は「ネコのフン」だ。
芋飴の中に煎った大豆が入った姿が猫のソレに似ていることから名付けられた
伝統の「摩耶スイーツ」である。
下のアメヤでは他にもおはぎ、ぜんざい、きな粉餅、焼きとうきび、昆布菓子など
山歩きに適した甘味が供されていた。

下のアメヤ跡

下のアメヤ跡

参詣者に「ほうけんどう」と呼ばれていた宝筐印塔(ほうきょういんとう)を過ぎると、
つづれ折りの坂道になり、いよいよ山岳寺院の趣が深まる。
青谷道との分岐を右に行くと小さな踊り場のようなスペースがある。
「ヤメア」と書かれたコンクリート製の構造物が残っている。
これは右からアメヤと読む。
つまり、ここにアメヤ(茶店)があったことを示している昭和の遺構だ。
ここには「上のアメヤ」と呼ばれた茶店があった。
「ししおどしもあったなあ」と天上寺の伊藤貫主。



今でも残るラムネ冷やし台

夏は引いてきた山水を、さきほどのコンクリート製の水槽にためて、ラムネなどの飲み物の他
トマトや摩耶山で採れたアケビなどを冷やして売っていた。
なんとも風流な「山カフェ」である。
ラムネでのどを潤し、涼しげなヒグラシの声を聞きながら一息ついて見上げれば、
うっそうとした森の中に仁王門がたたずむ。
「さあ、もう一息や」
ここから参詣客は300余段の階段を上り、天上寺を目指した。

8月15日と22日の両日、仁王門下の「上のアメヤ」で数十年ぶりにラムネを売るイベントを
開催します。
当時の古い写真も展示しているので、昭和の参詣客になった気分で摩耶山に涼みにきてください。

「摩耶山ラムネ茶屋〜帰ってきた上のアメヤ」
平成21年8月15日(土)・22日(土)
12:00~16:00
場所:旧摩耶山天上寺仁王門前(摩耶ケーブル虹の駅より徒歩15分)
主催:摩耶ビューラインサポーターズクラブ(仮)
協力:灘百選の会・灘区役所

摩耶山ラムネ茶屋

摩耶山ラムネ茶屋地図


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