その日は突然訪れた。
昨年末、ナダタマ事務局に1本の電話が。
「店閉めることにしてん」
ナダの斜塔、傾いた喫茶店こと「レードル」が昨年末ひっそりと長い
歴史に幕を下ろした。
震災後、大きく姿を変えた六甲道周辺で、数少ない六甲道DNAを
引き継いだ店がまた一つなくなる。
もちろん建物だけではなくて味も、だ。
一風変わったビジュアルが取り上げられることが多かったのだが、
ここは喫茶店というよりレストランであり、手間ひまかけてつくる
手作りのカレーやハンバーグがこの店の売りだった。
もちろんこの店はメディアで紹介されるような商売上手な洋食屋でも、
小洒落たビストロでもない。
あくまでも「普通のおいしさ」を作り続けてきたんだと思う。
建物とは違って味に衒いはなかった。
新しい街になった六甲道周辺は○野屋や宮本む○しなど「どこにでもある」
24時間のチェーン店が増えた。
灘っ子は食べ物に関してうるさいからそういう店は続かない、などという
予想を覆しそれらの店は着実に根付いていった。
そして六甲道は「そういう街」に生まれ変わった。
「最近の若い子はコンビニやチェーン店の味がええらしい」
レードルのマスターは六甲道かいわいから六甲道DNAを持った手作りの味が
なくなっていくことを寂しそうに嘆いていた。
六甲道かいわいに住んでいる灘クミン一部の灘クミンと話をしていて
気づくことがある。彼らは往々にして自分の住む街に「味わい」(おいしさという
意味ではなく)を求めていない(人が多い)。
彼らが望む街は、昼夜の区別なく明かりを放つ誰もがよく知っているチェーン店があり、
巨大スーパーが林立し、JRの快速が止まり大阪にも三宮にも出やすい、どこにでもある
コンビニエント(便利)な街なような気がしてならない。
彼らにとってもはや街は愛する対象ではない。
きっと欲望が満たせればいい場所なのであろう。
街を愛せないから、店も愛せない。
きっと建物が傾いていたり、オリジナルの手作りの味なんてどうでもいいのだろう。
そんな街に、傾いた喫茶店は「まっすぐに」立っていた。
いや、あまりにもまっすぐに立ちすぎていた。
傾いた喫茶店には一部、城のモチーフが使われていることにお気づきだろうか。
ここは街の味を守ろうとした城だったのかもしれない。
閉店した店の傾いた窓から外の街を見てみた。
ひょっとしたら建物ではなく街が傾いているのかもしれない、
そんな風に思えてしかたがなかった。(つづく)
[参照:傾いた喫茶店レポート]
41日目 傾いた喫茶店物語(1)
42日目 傾いた喫茶店物語(2)
43日目 傾いた喫茶店物語(3)
[naddist001010-69]レードルのアレ【一杯、食べとく?02】