先月7月26日に水道筋商店街で「水道筋アーケード劇場」というイベント
が開催された。
「スクリーンがあった街・水道筋」を真夏の夜に復活させる、もう今年で
5回目か6回目かの水道筋の夏の定番イベントだ。
今年もお手伝いをさせていただいたのだが、なかなかの好企画だと思う。
アーケードに設置された巨大な特設スクリーンに映る「アンパンマン」を
食い入るように見つめる子どもたちを見ていると、ふと子どもの頃を思い
出した。
今のような大画面TVもなく、まだ白黒TVも現役で、せいぜいキドカラー
やパナカラーの18型程度の、のぞき穴くらいの画面を「のぞいて」いた僕ら
にとっては映画館のスクリーンはあまりにも広大だった。
春休み、夏休み、冬休み前になると小学校前で、インチキくさい計算尺や
学研の勧誘、篠鉄砲売り、色付きひよこ売りなどに混じって「東映まんが
まつり」や「東宝チャンピオンまつり」などのいわゆる「まつり系映画」
の割引券が子どもたちに大量にばらまかれた。
それを握りしめて水道筋へ走った。
ゴジラ以外はほとんどTV番組を無理やり映画化したものだったが、それでも
大画面で見る仮面ライダーや、「ポニョ」の原型とも言われる宮崎アニメ
「パンダコパンダ」は迫力があった。
しかも「豪華6本立て!」みたいな、これでもかっ!て感じの怒濤のプログ
ラムだったのだが、母親が水道筋で買い物をしている間しか見ることができ
なかったので、たいてい半分くらいしか見ることができなかった記憶がある。
そして、高校生くらいでまた映画館通いが始まるのだが、そのころになると
8軒ほどあった水道筋の映画館もほとんどが閉館していたので、三宮方面の
阪急文化や新聞会館にあったスカイシネマ、三劇、ビッグ、アサヒ(うーん
これも全部閉館だ)などに行った。
で、灘区の映画館でも気になる映画館があった。
河原の「富士映劇」と、六甲道の「六甲東映」(やっと六甲道が出た)だった。
両方ともいわゆる「ピンク館」だったわけです。
当時の高校生的には美保純などのにっかつ系が人気だったので、独立系の富士や
六甲はどうしても敬遠され、なかなか足が向かなかった。
(正確にいうと、美保純はあまり見たくなかったのだが、当時その手の映画は
数名で見に行くのが常だったので、いつも多数決で負けたのだ)
でも、六甲道の北にあった映画館「六甲東映」は僕の17才の地図にもしっかり
プロットされたいた。
ヌーベル六甲の貸しレコード屋でレコードを借り、六甲道の南天荘書店まで
おりる途中、六甲本通商店街から少し西に入ったところにひっそりとたたずん
でいた六甲東映(正式名称は六甲宮前映画劇場)。
今のスーパードライな六甲道ではなく、まだ六甲道らしい翳りと湿り気が残っ
ていた通りだったと思う。
東映と名がつくが東映とは無縁で「東映まんがまつり」ではなく「団鬼六緊縛
まつり」や「谷ナオミ(SM女王)まつり」などがかかり、「ピンクのカーテン」
などのアイドルポルノに辟易していた高校生には魅力的な小屋だった。
がしかし、やはりハードルが高かった。
人目を気にしながら少し逡巡し、その場を立ち去るというのがいつものパターンだ。
と、ここまで延々と書いたが、結局この「六甲道の映画館」には入れずじまい
だったのである。
あとは諸先輩方の六甲東映体験コメントに期待したいと思います。
よろしくお願いいたします。
六甲東映跡。現在はマンションになっている。
周辺にも高層マンションが増えたが、アーケード手前のトタン屋根の家がかろうじて
昔の面影を残す。しかしもはや「六甲道の裏筋」の風情はない。