(前回までのお話はこちら→「41日目 傾いた喫茶店物語(1)」)
今から37年前、ちょうど高度経済成長の仕上げイベント、
日本万博博覧会が開かれた時代に「傾いた家」は「喫茶ミニ」
として鮮烈な灘デビューを果たします。
店というよりパビリオン的な気配がそこはかとなく漂うのは、
やはりその時代の空気だったのでしょうか。
とにかくワクワクする建物であったことは確かです。
確かにキワモノかもしれない。
街の文脈を無視したKYなデザインかもしれない。
でもなにかこう、愛嬌がある。そして哀愁もある。
ぎゅっと胸に抱きしめたくなる。
同じ山手幹線沿いでも東灘区では成立しない、危うさをたたえた
その灘的なたたずまいに心が打たれるのです。
イタリアのデザイナーによってデザインされた桜口のイタリア広場にある
冷たい表情の「傾いたオブジェ」と比べていただきたい。
傾いたオブジェはこちらが本家なのです。
やがて当時の店長(ママ)の甥っ子さんが店を手伝い始めます。
それが現在のレードルのマスターです。
大学を卒業後フランス料理を勉強した彼は、やがて喫茶メニューを
超えた本格的料理を繰り出し始めます。
そして店名は「ラグタイム」に。
「でもこんな建物やろ。みんな『ラブタイム』言いよんねん。
ラブホテルと間違えてるねんな。『ラグタイム』やっちゅうねん」
笑いながら当時を振り返るマスター。
ド派手な外観、いかにもな城郭風のデザイン。
確かに「ラブ」と呼びたくなる気持ちもわからないでもありません。
なんと昭和62年の住宅地図までも『ラブタイム』表記になっている始末。
「当時はエスカルゴとかも出しててん。
そんなんこの辺で食べられる店なかったで」
前回の記事にいただいたコメントのように当時は「小エビのコキール」など
フレンチなメニューが並んでいたとのこと。
傾いた家でエスカルゴ。
どピンクな店でエスカルゴ。
「ラブ」タイムでエスカルゴ。
誰が想像できましょうか。
しかし、その魂は現在のメニューに息づいています。
当時は2階の客席も稼働しており、傾いた窓からは六甲模型、そして遠く
六甲の山並みも望めました。
現在は右端の窓が潰され、バックヤードになっています。
客席にはアンティークなランプシェード。
「イタリア製やねん。でも震災で壊れてもた」
壊れたものは照明器具だけではありませんでした。
(つづく)