「永遠の六甲道」が「永遠の灘公設市場」になりそうなので、
少し六甲道方面に話を戻しますね。
…といっても、少し東に行き過ぎかもしれませんが。
昭和30年代くらいの高羽幹線(主要地方道灘三田線)を国道2号側から北を
見たところです。道幅など現在とほぼ同じですが、当時の自動車が小さいので
広く見えますね。灘マツダも近い事ですしマツダの軽トラックでしょうか?
そして通行量が圧倒的に少ない。
六甲トンネルもまだできていないので、まだ幹線になりきってないわけです。
それをいいことに、この辺りの子どもたちはこの道路を「公園」として
使っていたそうです。
のどかなはなしですな。
沿道の住宅ものんびりと。
いまはマンションが林立していますが。
右手に「毎日屋ランドリー」が見えますので、道路を挟んだ石垣の家は
入江歯科のあたりでしょうか。
道路の先にかすかに高架化前の国鉄の踏切が確認できます。
ここも六甲道と同じく開かずの踏切。
そしてさらにその先には造成地が見えます。
そう、造成中の鶴甲です。
「マンモスニュータウン鶴甲」もまだできていなかったわけです。
それに六甲山系もこころなしか緑が少なく感じますね。
禿げ山だった六甲山にようやく緑が増えて来ているといった感じ。
このころから灘区も高度経済成長に突入し、どんどん風景が変わって
いきます。
(写真:堂内克孝様所蔵)
【六甲道お宝写真募集】
「永遠の六甲道」では、六甲道周辺の古い風景が写っている
写真を探しております。
そろそろ手持ちがなくなりそうな雰囲気が(w
そんな些細な写真でも結構ですし年代も不問ですので、もしご提供
いただけるようでしたら、info@nadatama.com「永遠の六甲道係」
までご一報くださいませ。
ご協力の程よろしくお願いいたします。