アーケードをぬける。
神社の鳥居が見える。
山手幹線を横切り・・・・
そして振り返ってみる。
今通ってきたアーケードだ。
なつかしいスタイルのアーケード。
きっとその下でいろんな出会いと別れがくりかえされたんだろう。
震災を乗り越え、道ゆく人、そこにいる人を雨風から守ってきたアーケード。
もう一度だけで良いからとおってみたいなぁ。
震災後、アーケードがあった頃。山手幹線を挟んで宮前商店街を臨む。
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2007年4月28日(土曜日)22日目 振り返って・・・アーケードをぬける。 そして振り返ってみる。 今通ってきたアーケードだ。 なつかしいスタイルのアーケード。 もう一度だけで良いからとおってみたいなぁ。 震災後、アーケードがあった頃。山手幹線を挟んで宮前商店街を臨む。 2007年4月21日(土曜日)21日目 中に入って・・・震災後ここからの眺めはかわってない。西側は火災がひどかったようですが、 乾物屋さんの匂いや魚屋さんのかけ声も、市場を通って出てくる人もあったあの日。 今では、年中無休が当たり前だけど、商店街の定休日はこんなかんじで、 「あ、今日は休みか、ほな八幡商店街の方にいってみるか・・・」 便利さの追求や技術の進歩が、アーケードの定休日の表情やいつもと違うところに買いにいく楽しみも人々から奪っていったのだとしたら、すこし残酷な気もします。 2007年4月14日(土曜日)20日目 失われた・・・宮前商店街を神若線から臨む(詳細時期不明・震災後) すごくむかしのような気がしますが、実は震災後なんですね。 年に一度、八幡神社が厄神さんの時は、出店と商店街の店の相乗効果で、とくににぎわっていた記憶があります。 夏の夜店はこの商店街じゃなかったかな? どちらもアーケードがなくなって寂しいですね。立派な建物ときれいな店舗にはなっても、そこが「通り道」じゃなくなってるので、「アーケード」だったころにのように記憶に焼き付かなさそうなのも寂しいですね。 それはそうと、宮前商店街 ほんの少し状況が違っていたら、本当はこちらがメインストリートだったかもしれません。 震災は人の運命だけでなく、「まち」の運命もかえてしまったのかもしれません。 最後に現在の同じ場所↓ 2007年4月7日(土曜日)19日目 上空より2フォレスタから。 「太陽神戸銀行」がありますね。 ちょうど、ガラス張りのモダンな建物で駅前でひときわ目立っていただけでなく、 買い物帰りのおかん「あついし銀行で涼んでいこ」 そして独特の銀行の香り。お金の香りではないようですが・・・・。いまはあまりしませんね。 33 queries. 0.035 sec. |