入学式。
灘区内ではあちこちの桜の木の下で記念撮影する光景が見られる。
誰も知らないと思うが、「桜」は灘区の木に選定されている。
「え?マリーゴールドじゃなかったけ?」と思われた人もいるかもしれないが、それは灘区の「花」で、桜は「木」なのだ。さらにややこしいことに灘区には「歴史の花」というのもあって、これは菜の花。お隣の東灘区は区の花として「梅」が選ばれているだけなのに、3つも選定してしまうおっちょこちょい具合が実に灘区らしい。
神戸市のホームページより選定理由を抜粋してみる。
区民公募により最多投票数を得て、区内には、王子公園・
護国神社・トンネルなど桜の名所が多いことから平成12年
7月に灘区の木として選定されました。
「なだ桜まつり」など春の風物詩として区民に親しまれてい
るイベントも多く行われています。
オレ、投票なんかしてねえよ!という人もいるかもしれないが、とにかくいつの間にか決まっちゃったのです。
確かに灘区は桜の名所が多い。でも昔からこんな桜が多かったかしら?いまだに「都賀川は桜やなくて柳や」という人もいるし。
大体「桜のトンネル」だって、いつからそう呼ばれるようになったのかはっきりしない。せいぜい桜並木とか桜坂とか呼ばれ、近隣の人が愛でる知られざる桜スポットにすぎなかったが、シーズンには他府県ナンバーの車も多く見かけるようになった。あげくの果てに、桜にぶつかって枝を折ったりとか。いっそのこと坂の上に料金所つくって100円とれば儲かるのになどと思ってしまう。
この桜のトンネルの桜は、摩耶ケーブルの開通に合わせて植えられたという。大正14年に開業した摩耶ケーブルは、戦時中に金属供出で鋼索、車両などが撤去され、戦後も休止状態が続いていたが、戦後復興から高度経済成長期を迎え、世はレジャーブームに。奥摩耶開発の機運が盛り上がり、摩耶ケーブルも昭和30年に運転を再開する。
摩耶ケーブルは灘クミンにとって単なる交通機関ではない。
摩耶山と街をつなぐ大事なへその緒。当時の灘クミンの喜びはどれほどだったであろう。
摩耶ケーブルが再開した当時の貴重な写真がある。(写真上 写真提供:寺本雅男様)
細い坂道の両側に桜が植えられているのがお分かりだろうか(注)。まだ桜のトンネルなどと呼ばれていなかったころは、ローラースケートや子どもたちが「ひこうき」と呼んだ遊具(建具の戸車を車輪にした手づくりの乗り物)で滑走するのどかな坂道だったが、今では灘区有数の桜の名所に。
当時の灘クミンは今の状況を想像できただろうか。
今年、摩耶ケーブルの車両が56年ぶりにリニューアルされる。
つまり、この坂道の桜も相当の高齢樹だ。
次の桜を育てていかないといけけない時期が来ている。
(注)写真は昭和35年頃撮影。幹が細いので大正時代に植えられたものではないと思われる。ちなみにこの並木が神戸市の街路樹として認定されたのは昭和12年9月15日。