前回の新在家北町編の記事に、「43号線建設で失われた新在家中町を」との提案を頂いた。
北町のスケール感を考えると、国道43号線(※)の道幅にすっぽりともう一つの町が収まっていても、
不思議ではないような気もする。
町がひとつ分、まるまる消えてしまうということは大変なことだ。
(※かつては、阪神国道(はんこく;国道2号線)の南に進延されたために第二阪神国道とも呼ばれ、そのため通称「にこく」と呼ばれた。最近では2号線が「にこく」と呼ばれてややこしく、43号線は「よんさん」の呼び名が定着しつつある・・・らしい。)
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新在家北町と新在家南町の間に挟まれているのだから、郵便番号的にはどうなってるのか?と思って調べてみた。
新在家北町は657-0861
新在家南町は657-0864
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間にある番号が欠番だったりしたら、もしやそこに幻の新在家中町が・・・と期待したが、
657-0862は浜田町、657-0863は灘浜東町だった。
灘浜東町というのは、ほぼすべてが神戸製鋼の敷地にあたる場所だ。
そもそも郵便番号の整備自体が昭和43年だし、7ケタ制になったのは最近だから、
まったく的はずれな期待だったのだけれども。。。
個人的な希望だが、「その番号は使われておりません」的な番号も
ちょっとだけ混ぜておいてくれたら、楽しいのに・・・と思う。
数字や記号に隠された謎というのは、無機質な雰囲気な故に惹かれるのかもしれない。
ちなみに、灘浜の埋め立てと43号線の整備は、昭和30年代半ばぐらいに同時並行している。
新在家中町の町名は、1967年(昭和42年)に廃止された。
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新在家あたりは小泉製麻の所在地として知られるが、
最初は新在家中町でスタートしたのだという。
明治23年の話だ。
それから100年以上経った現在。
記憶の中だけでなく、阪神高速と43号線の下に、新在家中町は今もそこに「在る」のだろう。
次回こそ、新在家南町。