連れが「オムライスにはケチャップだよね」と言うので、
僕はカウンターに立つマスターに何気なく、本当に何気なく、
「ケチャップのオムライスってないの?」と尋ねた。
一瞥もせず、マスターは「そんなものは、どこでも食えるやろ」と言い捨てた。
翌月、再びレードルを訪れた時、あの、コピー用紙を丸めたようなメニューの中に、
「オムライス(ケチャップ)」の文字を見つけた。
その時僕は、なぜだか救われた気がした。
だがしかし。
そんな出来事の積み重ねが、傾いた喫茶店のマスターに閉店を決意させたのかと思うと、
なんとも自責の念でいっぱいだ。
永手町1丁目、「レードル」閉店の報せを耳にして以来、
あのときの出来事が繰り返し思い出されてならない。
永手町3丁目の蕎麦屋「よう」が閉店した時にも、
やはり、僕の心のざわざわという音は、しばらく鳴りやまなかった。
僕がもっとちゃんと通っていれば、店主のヨーコちゃんの愚痴を聞いてあげれば、
こんなことにならなかったかもしれない、と。
ある日気がついたら、Bar「fine」が無くなっていたときにも、
高架下にあるジャパンのオヤジのメガネが歪んでいても、
最近の六甲道を歩く時は、隙間風のような寂しさと向き合わなければならない。
(次回は永手町・後編)