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2008年5月25日(日曜日)

第54話「新在家南町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分39秒

酒は命の水だという。

ならば新在家南町は、命の水が生まれる場所と言える。

小泉製麻の工場あったという場所は、紆余曲折を経て、今は真新しいショッピングセンターになっている。

便利で賑やかで、明るくて楽しい場所。

前回の「新在家中町」の記事にコメントを頂いたが、
アクタスがあるサザンモールの東側の部分は、旧入船町の一部だったようだ。

震災後にできた復興住宅と、ショッピングモールの間が西国浜街道にあたる。

南には、かつてマンボウが遊びに来た運河が走る。
運河の南には、高速道路と神戸製鋼。なにやらマッチョな風景だ。

手の込んだ「酒蔵風」の自転車置き場。

新しく「古いもの」を作ったものが古くなったら、
どうなるのだろう。僕にはさっぱり分からない。

それでもソテツは立派にニョキニョキしてるし、
マツムラスポーツのカレーの味も、以前と変わっていないと信じたい。


夕暮れ時の新在家南町。

米が酒になる時の、酒になる前の匂いが漂う。

目を凝らせば、あちこちに井戸の形跡がある。


新在家南町にも、新しい宅地開発の波が押し寄せている。

米が酒に変わり、町が新しくなる。

古いままのものもあるし、新しく古いものを作ることもある。

商店街でなく、住宅地でも工業地帯でもない。

酒蔵と、製麻。

ショッピングセンターと、復興住宅。

細い路地の井戸とハウスメーカー。

新在家南町はいま、そんな町になっている。


2008年5月18日(日曜日)

第53話「新在家中町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分14秒

前回の新在家北町編の記事に、「43号線建設で失われた新在家中町を」との提案を頂いた。

北町のスケール感を考えると、国道43号線(※)の道幅にすっぽりともう一つの町が収まっていても、
不思議ではないような気もする。

町がひとつ分、まるまる消えてしまうということは大変なことだ。

(※かつては、阪神国道(はんこく;国道2号線)の南に進延されたために第二阪神国道とも呼ばれ、そのため通称「にこく」と呼ばれた。最近では2号線が「にこく」と呼ばれてややこしく、43号線は「よんさん」の呼び名が定着しつつある・・・らしい。)

    ■  ■

新在家北町と新在家南町の間に挟まれているのだから、郵便番号的にはどうなってるのか?と思って調べてみた。

新在家北町は657-0861

新在家南町は657-0864

    ■  ■

間にある番号が欠番だったりしたら、もしやそこに幻の新在家中町が・・・と期待したが、

657-0862は浜田町、657-0863は灘浜東町だった。

灘浜東町というのは、ほぼすべてが神戸製鋼の敷地にあたる場所だ。

そもそも郵便番号の整備自体が昭和43年だし、7ケタ制になったのは最近だから、
まったく的はずれな期待だったのだけれども。。。

個人的な希望だが、「その番号は使われておりません」的な番号も
ちょっとだけ混ぜておいてくれたら、楽しいのに・・・と思う。

数字や記号に隠された謎というのは、無機質な雰囲気な故に惹かれるのかもしれない。

ちなみに、灘浜の埋め立てと43号線の整備は、昭和30年代半ばぐらいに同時並行している。

新在家中町の町名は、1967年(昭和42年)に廃止された。

    ■  ■

新在家あたりは小泉製麻の所在地として知られるが、
最初は新在家中町でスタートしたのだという。

明治23年の話だ。

それから100年以上経った現在。

記憶の中だけでなく、阪神高速と43号線の下に、新在家中町は今もそこに「在る」のだろう。

次回こそ、新在家南町。


2008年5月11日(日曜日)

第52話「新在家北町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分44秒

新在家北町は、小さい。

阪神新在家駅と高架、高架の北側の並び。

南側は43号線まで。西に向かってわずか2ブロックほどで終わりだ。

駅の改札を出て右手には大きなスーパー。

その西側には、最近造成された宅地が並ぶ。

阪神の高架下はなぜか「南六甲プラザ」。

六甲の南?

「阪神新在家プラザ」ではダメだったのか??

こんなところに日本一が。。

色彩溢れすぎた光景に、少し息が詰まりそうになる。

次回は新在家南町。


2008年5月4日(日曜日)

第51話「城の下通」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分25秒

城の下通を、どんな言葉で表現したらいいのか、
まだうまい言葉が見あたらない。

東側には、神戸高校、そして天理教兵庫教務支庁(旧勝田邸)という大きなスケールの建物。

どちらも灘百選だそうで。

そのすぐ西側には、木造のアパート群が密集するエリア。
迷宮のような階段路地を歩けば、趣のある住宅もちらほら。

防犯を呼びかけるポスターも、実に味のある筆致。

「城の下」の城は、摩耶山に拠点を置いた赤松氏の城。
その「下」にあるから「城の下通」なんだとか。

遠目にはチョコレートに見えなくもないが、これは山に打ち込んだクサビの列。
ある意味、現代版の城の石垣ってところだろうか。ちょっと物々しい光景だけれど。。

市場の水平方向の迷宮っぽさとは、また違う雰囲気だ。

城の下通そのものが、山城のように思えてくる。
世間はすっかり黄金週間。上がって下って汗ばむ陽気だ。

次回は新在家北町。


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