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2008年2月24日(日曜日)

第45話「篠原中町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分52秒

篠原中町は思いの他大きく、少々篠原中町を見くびっていたようだ。

篠原中町は、六甲登山口を南に下り、阪急の高架をくぐるところから始まる。

線路沿いに西に向かえば、都賀川を渡り、都温泉の北側あたりまで篠原中町なのだ。

篠原中町というのは、大邸宅もあるし庶民的な雰囲気もあるというような、いろいろな雰囲気が渾然としていて、ナダ区の縮小版のような町なんじゃないかという気がする。

六甲川と杣谷川が合流する場所。
印象的なかたちの石垣。そして三角形の公園。

階段脇にある滑り台。
少しザラザラしていてるので、たぶん滑りにくいと思う。

諏訪山公園の滑り台ほどの傾斜もなく、王子動物園にあるゾウ型滑り台ほどの愛嬌もない。質実剛健に、「傾斜を利用した遊戯構造物」然として存在しているわけだが、最近の灘っ子たちはこの滑り台をどんな風に評価してるのだろうか。

そしてグランドの北側には「灘公設市場」の文字が残る。

春はもう、すぐそこまで来てるはず。

次回は篠原本町の予定。


2008年2月17日(日曜日)

第44話「篠原台」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分49秒

ナダに中心と周縁があるとしたら、篠原台は周縁の空気を色濃く帯びた地域だ。

昭和53年に「篠原台」の名前が付けられたという。

その名の通り篠原の高台に位置しているが、
整然とした住宅地の部分と、混沌とした部分があるように思う。

町名が付けられた昭和53年までに、既にかなり開発が進められていたはずだ。
神戸大の学生が棲んでいそうな「〜館」「〜荘」も、篠原台ではバリバリの現役だ。
他の多くの学生は「大学に上がる」と表現するのに、
この町に暮す学生たちだけは、「大学に下りる」と表現するのだ。

坂の町は、他にもたくさんある。
でも、篠原台の家々からは「斜面地に住む」という強い意志が滲み出ている気がする。

具体的に言えば、表札の出た玄関から果てしなく登る階段。

そもそも、住宅自体が階段状になっているのだけれど。

白い息を吐きながらフゥフゥと坂を登っていたら、雪が舞い始めた。
雪が積もり始めれば、タクシーすらこの町には上がってきてくれない。
炭山橋を渡ったところで、「ここから上は無理」と下ろされてしまう。
決死の覚悟で凍り付いた雪道を登って帰宅した話を聞くことが多い。

周縁では、自然の力が勝ることが多いのかもしれない。


2008年2月10日(日曜日)

第43話「篠原北町」後編

カテゴリー: - aiai @ 09時00分38秒

兵庫県には、二つの護国神社がある。

姫路にある護国神社は県西部担当。そして、篠原北町にある護国神社は県東部の担当だ。

もとは兵庫区の会下山に造られたものだが、戦前に王子町(関学跡地)に移転した。

さらに戦災で焼失し、昭和34年にこの地で再建されることとなった。

護国神社は、明治維新前後から後に「国家のために殉難した者」を祀るために造られた

招魂社と呼ばれる施設がルーツであるという。東京にあったものは靖国神社となり、

地方に造られた招魂社は護国神社と呼ばれるようになったのが昭和14年なので、

会下山から灘に移ってきた時期と一致する。

戦後は一時期、GHQの指導で護国神社の名称が使えなかったこともあったという。

いずれにせよ、日本という国のあり方を考える場としては実に重要な施設なのだ。

護国神社の境内は、もちろんのこと慰霊の場であるのだが、

ある意味で「記憶装置」のようなもので満たされているとも言える。

昭和34年に再建とは言うものの、戦前からのものを引き継いできているため、

あたかもこの場所に、ずっと昔から建っていたような気がしてくるから不思議だ。

とは言うものの、子ども頃近所に住んでいたという後輩に聞けば、

護国神社の境内や境内は格好の遊び場だったというし、

いたずらして神主にこっぴどく怒られた思い出など、

いい具合に記憶に満ち溢れた場所でもあるようだ。

交番の上にある展望台(?)からの眺めも、「交番の上」というロケーションが、

景色に妙なスパイスを加えているような気がして、これはこれで味があると思う。

(それにしても、公園にある子供用の「のりものおきば」って・・・。)

春には桜が満開となるし、毎月第4日曜日には「バザールin六甲」というフリーマーケットが

開催されており、ここ数年来は、毎回神戸大学のちんどん屋サークルも出没しているので、

閑静な灘の山手界隈が賑やかな空気に包まれる。

ところで、護国神社から少し上がったあたり、長峰台の手前あたりの急坂の住宅街は、

どこか他の地域とも違う雰囲気で、何というか芦屋的というか、そんな感じがした。

坂の突き当たりの手前にはロイ・スミス館という古い邸宅があったりして、

このあたりだけ、時間の流れ方が違っているんじゃないかという気分になってくる。

※1936年建築のロイ・スミス館は現在、神戸大関連の法人が所有しており、海外から神戸大に来る教員の宿舎として使われているそうです。設計したのは灘区出身の清水栄二という人で、御影公会堂や甲南漬資料館の設計者としても知られています。興味を持たれた方はぜひ検索してみてください。)


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