兵庫県には、二つの護国神社がある。
姫路にある護国神社は県西部担当。そして、篠原北町にある護国神社は県東部の担当だ。
もとは兵庫区の会下山に造られたものだが、戦前に王子町(関学跡地)に移転した。
さらに戦災で焼失し、昭和34年にこの地で再建されることとなった。
護国神社は、明治維新前後から後に「国家のために殉難した者」を祀るために造られた
招魂社と呼ばれる施設がルーツであるという。東京にあったものは靖国神社となり、
地方に造られた招魂社は護国神社と呼ばれるようになったのが昭和14年なので、
会下山から灘に移ってきた時期と一致する。
戦後は一時期、GHQの指導で護国神社の名称が使えなかったこともあったという。
いずれにせよ、日本という国のあり方を考える場としては実に重要な施設なのだ。
護国神社の境内は、もちろんのこと慰霊の場であるのだが、
ある意味で「記憶装置」のようなもので満たされているとも言える。
昭和34年に再建とは言うものの、戦前からのものを引き継いできているため、
あたかもこの場所に、ずっと昔から建っていたような気がしてくるから不思議だ。
とは言うものの、子ども頃近所に住んでいたという後輩に聞けば、
護国神社の境内や境内は格好の遊び場だったというし、
いたずらして神主にこっぴどく怒られた思い出など、
いい具合に記憶に満ち溢れた場所でもあるようだ。
交番の上にある展望台(?)からの眺めも、「交番の上」というロケーションが、
景色に妙なスパイスを加えているような気がして、これはこれで味があると思う。
(それにしても、公園にある子供用の「のりものおきば」って・・・。)
春には桜が満開となるし、毎月第4日曜日には「バザールin六甲」というフリーマーケットが
開催されており、ここ数年来は、毎回神戸大学のちんどん屋サークルも出没しているので、
閑静な灘の山手界隈が賑やかな空気に包まれる。
ところで、護国神社から少し上がったあたり、長峰台の手前あたりの急坂の住宅街は、
どこか他の地域とも違う雰囲気で、何というか芦屋的というか、そんな感じがした。
坂の突き当たりの手前にはロイ・スミス館という古い邸宅があったりして、
このあたりだけ、時間の流れ方が違っているんじゃないかという気分になってくる。
※1936年建築のロイ・スミス館は現在、神戸大関連の法人が所有しており、海外から神戸大に来る教員の宿舎として使われているそうです。設計したのは灘区出身の清水栄二という人で、御影公会堂や甲南漬資料館の設計者としても知られています。興味を持たれた方はぜひ検索してみてください。)