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2007年11月25日(日曜日)

第37話「桜口町」後編

カテゴリー: - aiai @ 09時00分00秒

震災の前の風景をほとんど失ってしまった町もたくさんある。
震災後の再開発とは、往々にしてそういうものであるようだ。

私たちの頭の中にある桜口町という地名が同じであっても、
震災前の桜口町と現在のwelv-桜口町は、同じものだろうか。

地上の緯度経度は、確かに同じ位置かもしれない。
でも、目の前にあるのは以前とはまるで違う町だ。
これを「記憶の断層」とでも呼べばいいのだろうか。

私は、震災前のこの町を知らない。
しかし、再開発が始まる前のこの町の景色は、ほんの少しだけ覚えている。

そしてwelvが現れた。

なぜイタリア広場なのか?
そもそも、町の名前がなぜアルファベットなのか?
(桜口にちなんで「チェリータウン」にでもしたらいいか、という話でもない・・・)

でも、子どもたちは楽しそうに遊んでいる。
オシャレなお店もたくさんできた。
「まちづくり」には、多大な苦労があったという。

ならば、このwelvの何が不満なのか。

この場所に来る度に、数多の疑問や想いが心の中で舞い上がっては沈殿する。
いつもいつも、その繰り返し。

芝生が痛みやすかったり、マナーの問題があったりするようだ。
公園を守る活動は、住民の方々が取り組んでいるという。
増え続ける「禁止看板」が痛々しくもある。

でも、多かれ少なかれ、他の町だって同じような悩みを抱えている。
welvだけが特別だというわけではない。

単純に、まだこういう「スタイル」に自分自身が馴染めていないだけなのか。

震災後に生まれた駅前ニュータウンは、
まだしばらくの間、僕を悩ませるに違いない。

ところで、桜口町には灘区役所がある。

区役所の移転に伴い、灘クミンの中でもいろいろな意見があったようだが、
それとは全然関係なく、最近、区役所のサイトに、こんなコーナーができた。

「あんぜん・あんしん なだ防犯ナビ」

この「灘の旅人」では各町をウロウロと歩き回るだけに、
不審者情報には人一倍敏感なのだ。

自分が不審者に間違われないように・・・ではなく、
犯罪発生情報を共有しておくのは何かの役に立つかもしれない。

ナダタマは、区役所や行政とは何の関係もないけれど、
たまにはこういうのを紹介しても罰は当たらないと思う。

みなさんも、ご自宅近くの情報をチェックされてみてはいかがでしょうか?


2007年11月18日(日曜日)

第36話「桜口町」前編

カテゴリー: - aiai @ 08時59分03秒





桜口町1丁目から3丁目。

ちょうど高羽川と国道2号線が交差するあたりから、桜口の交差点まで。

粋な畳屋があるかと思えば、オシャレげなカフェや居酒屋などがポツリポツリと。







パニエの北東の角。魚屋や本屋、靴屋が並ぶ縦筋。

手元にあるゼンリン住宅地図には「八幡商店街」と書いてある。

不覚にも、ここにきて急に「震災」を感じてしまった。



町の隙間風・・・とでも言うのだろうか。

この風を塞ぐ手だては、何かあるのだろうか。





そしてパニエの中身は、こんな感じ。

空いた店舗が埋まらない。

百均の店舗だけが、ジワリジワリと拡がっていく。

灘区でもっとも人口が増えてる六甲道南地区なのに。

なぜだろうか。



次回は「桜口町」welv編の予定


2007年11月11日(日曜日)

第35話「桜ヶ丘町」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分06秒

ずいぶん前のことだが、神戸市立博物館に展示されている銅鐸(複製)の展示の説明に、「出土地:灘区桜ヶ丘町」とあるのを見つけて、ずいぶん驚いたのを覚えている。えらい近所に、どえらいものが埋まっとったんやなぁ・・・と。

14個の銅鐸と7本の銅戈。一カ所で大量に出土するのは、全国的にもそう多くないケースらしい。銅鐸は「音を鳴らす道具」であるという。ただし、どのような目的で作られたものなのか、なぜ突然途絶えてしまったのか、なぜ山中にまとめて埋められたのか等、未だに分かっていないことも多い。

今から二千年近く昔の灘人たちが残した桜ヶ丘銅鐸の謎、実に興味深いではないか。高羽の交差点から十善寺方面の尾根筋を見上げながら、弥生時代の灘あたりを妄想してみるのも悪くない。

ところで桜ヶ丘という地名はどこから来たのか。最近流行りの「●●ヶ丘」「●●台」的なニュータウン地名とは格が違いまっせ・・・と思ったら、「昭和31年2月、石屋川上流部の申(さる)新田を開発して宅地とした際に付けられた地名」だという。ニュータウン地名の先がけ、ということのようだ。

で、この桜ヶ丘地区の開発が着手されて工事を進める途中で見つかったのが、国宝となった銅鐸や銅戈なのだ。つまり、桜ヶ丘の住宅開発がなければ、銅鐸たちはずっと土の中に眠ったままだったかもしれない、というわけだ。

だからといって、開発を手放しで賛美するわけにもいかない。親和女子高等学校の正門前を通り過ぎて、尾根沿いの道を上れば、石屋川を挟む谷間で巨大な開発プロジェクトが進行中だということが分かる。

震災後、長期にわたって係争が続いたグランドパレス高羽の姿はもう見あたらない。その変わりに、山腹の岩肌が削り取られてカフェオレ色のひな壇が誕生しつつある。ここも、他と変わらぬマンション群に生まれ変わるのだろうか。

すぐ東側に下れば、東灘区だ。石屋川の東にある灘区が妙に愛しくなる。

秋も深まりつつある。
銅鐸の時代も21世紀のマンションの街でも、ススキがそよぐ姿は変わらない・・・だろうか。


2007年11月4日(日曜日)

第34話「五毛通」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分35秒

ご無沙汰しております。インドから灘に、無事帰って参りました。

久々の更新であります。

さてさて。

灘も、五毛通まで上がってくると山岳地帯の様相である。

天高く、秋風も爽やかで実に心地よい。





五毛通1丁目は、急傾斜の崖から唐突に始まる。

崖の周辺は、階段が縦横に走っている。

フリークライミングよろしく、この崖を這い上がるのは肉体的にも
社会的にも(?)困難なため迂回を選択。

ようやく1丁目1番地に至る。

「何か面白いものあるかな〜」とぼちぼち西に進む。









ところが、ふと気がつくと桜のトンネルを通り抜けて、
摩耶ケーブル下に上がるバス道に出てしまった。

仕方なく折り返してみるものの、
やっぱり、興味を惹くものに出会わず、
そのまま出発地点の杣谷川まで戻ってしまう。

「参ったなぁ・・・」

五毛の名を冠した五毛天神は国玉通だし、杣谷川沿いの配水場や、
そのすぐ南側にある関電の変電所は高い塀に囲まれてアプローチできない。

寺社や祠があちこちにみられる国玉通あたりが、
かつての五毛村の集落の「上端」のラインだったのかもしれない。

つまり、国玉通の北にある薬師通以北は比較的新しく開発された地域であるために、
何となく均質な住宅街として収ってしまっているのだろうか。

ということで、ネタに窮したため、
マンションの壁などにあしらわれた石垣などを撮ってみた。
(毎度毎度、石垣ばかり撮ってる気がする・・・)






それっぽい感じがしなくもないけれど、違和感があるような気もする。
人工的というか、工業製品的というか。

人は石垣・・・と言ったのは武田信玄だけれども、
石垣のココロも人次第。石垣には魂がある、と思う。

世には石垣マニアという人たちがいて、石垣の用途や積み方だけでなく、
材質や産地、石の割り方や年代、積んだ職人集団への関心を寄せるという。
石垣には、人を引きつける何かがあるということだ。

自分の場合、子どもの頃、近所の川で石を組み合わせたダムを造って
遊ぶのが日課だったので、たぶん、そのころの興味がそのまま残っていて、
今なお石垣に心を奪われてしまうのではないかと考えている。

いずれにせよ、「石垣は石垣だけれど、ちょっと違う感じがする石垣」も、
この灘の風景を担う一員になってきていることは間違いない。
灘の石垣風景の将来はどうなるんだろうか。

もはや山岳エリアに位置する五毛通で、
灘と石垣の未来について考えてみたりした。







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