国玉通1丁目は上野中学校。
アップダウンのきつい学校の外周を、生徒達が汗を拭きながらぐるぐるフラフラと走っていた。
国玉通2丁目に、薬師堂がある。
薬師通の由来となった薬師さんなのだが、お堂は国玉通なのだ。
たまたま参拝に来ていたお婆さんに話を聞くと、
昔は田んぼの真ん中にあったのを、
こちらにお堂を造って移ってもらったということらしい。
お堂は、道路に背を向けた状態で建っているので、
のぞき込んでみなければ薬師堂かどうか気がつかないかもしれない。
質素ながら、隅々までお世話の行き届いたこのお堂の正面には、
薬師さんの像がにこやかにツヤツヤと光っている。
とくに目の病気に霊験あらたかだということで、顔の部分をはじめとして、肩や腰、足の部分はとりわけ艶やかだ。
お婆さんに教えられたとおり、僕も薬師さんの体と自分の体を交互になでてみた。
小さなお堂の中にはたくさんのイスが置かれており、
多くの人がここと訪れてお参りしていることが分かる。
こうやって大事に大事にされているものを見ると、
本当にうれしくなってしまう。
細い小道を西に抜けていくと、すぐに五毛天神に出る。
ずっと以前から疑問だったことが、ひとつあった。
この神社は、五毛天神なのか、河内国魂神社なのか、
いったいどういうことなのか、ずっとよく分からなかった。
最初は、河内国魂神社とは別に、
五毛天神という神社が近くに隠れているのではないかと疑ったくらいだ。
五毛村の村社だった五毛天神が、300年ほど前から河内国魂神社という
名前も名乗るようになったという由来を考えると、
とりあえず五毛天神と呼んでおけばいいかな・・・という気がするのだけれど、どうだろう。
五毛の地名は、天上寺に納めていた胡麻の油の「胡麻」に由来するという。
長い長い歴史を重ねてきた町名だ。
狛犬は男前な感じだし、西灘消防組第四部が奉納した絵まで飾られている。
だんじりだけでなく、探してみれば見どころいっぱいの五毛天神だ。
そして、五毛天神でもう一つ興味深いのは「木との距離感」だ。
いずれも長い歴史を感じさせる大樹だけれど、
神社の建物や狛犬と組み合わさった一体感を醸し出している。
五毛天神の隣、海蔵寺の門をくぐる時には、一瞬だけ立ち止まっていただきたい。
ふと上を見上げると、大きな鐘がぶら下がっているではないか。
そして、少し下れば国玉街園のお地蔵さんがある。
もうすぐ地蔵盆の季節がやってくるが、
昨年はすぐ目の前の摩耶学童保育所のメンバーが手伝いながら、
地蔵盆が盛大に行われた。
緑色の石で出来たほこらの中でひっそりと佇んでいるお地蔵さんは、
今年も地蔵盆を楽しみにしているに違いない。
(昨年の国玉街園の地蔵盆の様子)
次回は倉石町の予定。