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2007年8月26日(日曜日)

第33話「高徳町」後編

カテゴリー: - aiai @ 08時59分55秒

高徳町の「高」は高羽村、「徳」は徳井村に由来するのは周知の事実。
昭和43年から、既に40年近く使われている町名だという。

最近の市町村合併の、安易なネーミングを彷彿とさせなくもないけれど、
この高徳町にも、知る人ぞ知る店がいくつかある。

「六甲模型」

こと、六甲模型教材社。

僕は鉄道ファンではないし、熱烈なプラモデルファンでもないけれど、「六甲模型」で検索すると10万件以上ヒットするから、もうとにかく、そのぐらい有名なお店なのだ。

大汗をかきながらお店の写真を撮っていたら、台車を押しながら倉庫から出てきたおっちゃんに声をかけられた。

「写真、撮ってくれとん?」と気さくに話かけてくれたおっちゃんに、閉店の理由を尋ねた。

「どうにもこうにも、プラモデルが売れへん。商売にならん。」
「ミニ四駆の田宮が、無策すぎるんや。子どもの頃にミニ四駆やっとった世代をな、ホンマはこう、ぐっと掴んでいかないかんかってん」

9月上旬からは、鉄道模型専門店として再スタートするとのことだが、プラモデルも売っていきたかったという無念さがひしひしと伝わってきた。

六甲模型に別れを告げて、さらに西へ。

小さな小さな、高羽川に辿り着く。

ところで、この高羽川にかかる橋は何本あるのだろう。

この住宅の前にかかる橋を除いても、高徳町だけでもかなりの数だ。

高羽川を「横断」する山手幹線は「高羽橋」。

上流側には「楠丘橋」「地蔵橋」「常磐木橋」、そして「寿橋」。

どんなに小さな橋でも、歴史や思い出がある。

そんな高徳町の橋たちを渡り、高羽市場に到着。

そして、市場を通り抜ければ「自由軒」だ。

紹介こそしていないけれど、味のあるお店がたくさん詰まった町。

市場や商店街ではなくとも、住宅街と商店が混在しながら、
絶妙の歯ごたえを醸し出す町だった。


2007年8月19日(日曜日)

第32話「高徳町」前編

カテゴリー: - aiai @ 08時59分22秒

お盆明けの日本列島では、連日40度越えが各地で記録された。

当然その熱波は灘区の上空にも、もわ〜ぁんと滞在している。

実際には、もわ〜ぁんなんてほのぼのした雰囲気ではなく、
むしろ殺気立った熱光線を放ちながらギラつく太陽。

そんな昼下がり、石屋川と山手幹線が交差する地点に立つ。

高徳町1丁目。この橋の名は「八色橋」。

そしてすぐ北には、水道筋の由来となる「水道」を冠した橋名。

その名も「水道橋」。

この橋からまっすぐ西に向かえば、水道筋商店街にたどり着く。

つまり、シルクロードの起点となるような橋だ。

あまりに暑くて、ほとんど人気のない石屋川公園。

ふと見渡すと、こんなところに妙なベンチが・・・。

いたずらではないと思うので、何かの意図があると思う。

御影石に深々と放り込まれた「I LOVE YOU」の文字。

ご丁寧に赤い御影石を使ったハートの意匠。

僕にはこのセンスはあまり理解できないのだけれど、
とにかく誰かに愛を伝えたかったのだろう。

土手を下る。

側溝には、清らかな水がサラサラと流れている。

苔というより、柔らかい水草のような植物が茂っているところから察するに、
この水は絶えることなく流れ続けているのだろう。

この水がどこから流れ出て、どこに流れていくのかを突き詰めたかったが、
あまりに日差しが強いので、途中で断念。

もう少し西に向かう。

鷹匠中学校の南、弓の木の交差点に面した場所に、
小さな鳥居が建っている。

鳥居の向こうには二つの祠。

ひとつは神様。もう一つはお地蔵さんだ。

大きな道路をまたいで、寿公園に辿り着く。

今夜は、盆踊りのようだ。

炎天下の誰もいない盆踊りの櫓に、
祭りの神が休んでいるような気がするのは僕だけだろうか。

次回、「高徳町・後編」に続く。


2007年8月12日(日曜日)

第31話「倉石通」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分23秒

畑原市場の北側に並ぶお店とその裏通り、そしてもう一本北側の筋を含むのが倉石通。

水道筋商店街が全面的にハレの空間なのに対して、倉石通は表の顔と裏の顔を両方持っている。

市場については、「私を市場へ連れテッテ!」に詳しいので、こちらではあまり触れないことにする。

違う視点・・・ということで、今回は市場の中と裏通りの関係に注目したい。

市場の中が、お客さんを魅了するファンタジーな空間だとすれば、
市場の裏側は、大事な舞台裏ということになる。

この裏通りから商品が運び込まれ、表舞台へと並べられる。
舞台裏が、大事な息抜きの場になることもある。

市場の裏通りでは、軽トラやワゴン車が華麗なるハンドル捌きでバックして、
Uターンして、荷下ろしして、颯爽と立ち去っていく。

狭い道路で、歩行者とのあうんの呼吸の譲り合いというのが必須だ。

市場を通るのは楽しい。お店ごとの照明はスポットライト。
限られた範囲の舞台を精一杯演出する、色、音、匂い。

市場の心地よい緊張感もよいけれど、
ふと、抜け道のような細い路地を見つけたら、思い切って通り抜けてみる。

一瞬で、市場の裏通りに出てしまう。

市場の中のように華やかではない、日常の世界。

倉石通では、スポットライトを浴びる表舞台と、洗濯物がたなびく裏通りのコントラストを思う存分楽しめるはずだ。

次回は高徳町の予定。


2007年8月5日(日曜日)

第30話「国玉通」

カテゴリー: - aiai @ 09時00分14秒

国玉通1丁目は上野中学校。

アップダウンのきつい学校の外周を、生徒達が汗を拭きながらぐるぐるフラフラと走っていた。

国玉通2丁目に、薬師堂がある。

薬師通の由来となった薬師さんなのだが、お堂は国玉通なのだ。

たまたま参拝に来ていたお婆さんに話を聞くと、
昔は田んぼの真ん中にあったのを、
こちらにお堂を造って移ってもらったということらしい。

お堂は、道路に背を向けた状態で建っているので、
のぞき込んでみなければ薬師堂かどうか気がつかないかもしれない。

質素ながら、隅々までお世話の行き届いたこのお堂の正面には、
薬師さんの像がにこやかにツヤツヤと光っている。

とくに目の病気に霊験あらたかだということで、顔の部分をはじめとして、肩や腰、足の部分はとりわけ艶やかだ。

お婆さんに教えられたとおり、僕も薬師さんの体と自分の体を交互になでてみた。

小さなお堂の中にはたくさんのイスが置かれており、
多くの人がここと訪れてお参りしていることが分かる。

こうやって大事に大事にされているものを見ると、
本当にうれしくなってしまう。

細い小道を西に抜けていくと、すぐに五毛天神に出る。

ずっと以前から疑問だったことが、ひとつあった。

この神社は、五毛天神なのか、河内国魂神社なのか、
いったいどういうことなのか、ずっとよく分からなかった。

最初は、河内国魂神社とは別に、
五毛天神という神社が近くに隠れているのではないかと疑ったくらいだ。

五毛村の村社だった五毛天神が、300年ほど前から河内国魂神社という
名前も名乗るようになったという由来を考えると、
とりあえず五毛天神と呼んでおけばいいかな・・・という気がするのだけれど、どうだろう。

五毛の地名は、天上寺に納めていた胡麻の油の「胡麻」に由来するという。

長い長い歴史を重ねてきた町名だ。

狛犬は男前な感じだし、西灘消防組第四部が奉納した絵まで飾られている。

だんじりだけでなく、探してみれば見どころいっぱいの五毛天神だ。

そして、五毛天神でもう一つ興味深いのは「木との距離感」だ。

いずれも長い歴史を感じさせる大樹だけれど、
神社の建物や狛犬と組み合わさった一体感を醸し出している。

五毛天神の隣、海蔵寺の門をくぐる時には、一瞬だけ立ち止まっていただきたい。

ふと上を見上げると、大きな鐘がぶら下がっているではないか。

そして、少し下れば国玉街園のお地蔵さんがある。

もうすぐ地蔵盆の季節がやってくるが、
昨年はすぐ目の前の摩耶学童保育所のメンバーが手伝いながら、
地蔵盆が盛大に行われた。

緑色の石で出来たほこらの中でひっそりと佇んでいるお地蔵さんは、
今年も地蔵盆を楽しみにしているに違いない。


(昨年の国玉街園の地蔵盆の様子)

次回は倉石町の予定。


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