ここは区境の町。
石屋川の向こう、そして、道路を挟んで南側にも東灘区。
石屋川西岸の公園に、あの名作のモニュメントがある。
「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ」
モニュメントにはイラストだけが刻まれている。
これだけでも、たくさんのシーンが思い浮かぶことだろう。
映画「火垂るの墓」には、石屋川から見る御影公会堂の風景が出てきたり、成徳小学校の校舎がモデルとなった小学校が登場したりするのは、あまりに有名な話だ。
そろそろ、そういうテーマを扱った番組が、頻繁に登場してくる季節になってきた。
灘の夏、日本の夏。
記田町から眺める御影公会堂と石屋川も、灘の原風景になるだろうか。
ところで、この石屋川公園にある防災倉庫のような建物、御影公会堂をかなり意識してデザインされた建物のようだ。遠くから見ると、関連施設なのではないか?とすら勘違いしてしまいそうな趣すらある。
公園にはなぜか水琴窟も設置され、土手の松並木と併せて音や風景をしみじみと味わえる場所(?)になっている。都賀川沿いの公園とは、また違った趣が楽しめるというわけだ。
いわば国境の町とも言える記田町を歩いていて、どうしても気になったものが一つ。
徳井の交差点のすぐ南にある、某スーパーマーケットの店名が「御影西店」となっていることだ。
御影の・・・・西?
確かに、すぐ南は御影塚町。石屋川を挟んで東側は御影石町。
だからといって「御影西」という表示をされるのは、灘クミンとしては切ない。
「御影」を乱用するのかと、東灘の人々も憤っているのではないか。
これではまるで、東灘区の西側に灘区があるから、灘区は「西東灘区」と呼んでしまおうというような話だ。山麓線を車で通る人も「このあたりは御影の西」だと認識してしまうではないか。
記田町店なり、徳井店なり、そういう表記は考えられなかったのだろうか。
まあ、そのあたりはビミョーな問題を孕んでいるのかもしれないので、あまり掘り下げないことにしておこう。
「国境の町ならではの事態なのだなぁ」とフンフンと呟きながら、このスーパーで割引の菓子パンを買って、店の前でムシャムシャと食べて、記田町を後にした。
梅雨はまだ明けないようだ。
次回は楠丘町の予定。