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2007年6月24日(日曜日)

第25話「神前町」

カテゴリー: - aiai @ 07時59分00秒

おかげさまで、ナダタマ「灘の旅人」も第25話まで辿り着いた。

あいうえお順で進んでいるが、まだ「か」で始まる町名をウロウロしてる。

まだまだ長い旅になりそうなことは容易に想像できるが、
この旅を邪魔する敵が現れた。

お気づきの方も多いかもしれないが、
最近はspamコメントの波状攻撃にウンザリしている。

自分のサボり癖と闘うのは、相手が自分なだけに何とかなりそうな気がするけれど、
spamをばらまくのは機械だから、妙な徒労感だけが残る。

こまめに削除しているものの、
不快なコメントはサラリと無視していただければと思う。

光ファイバーだの無線LANだのという世界とは無縁の自宅PCは、
ダイヤルアップ接続でインターネットにつながっている。
そこから覗くweb世界は思いの外狭く、時間がかかる。

ナダタマのトップページを表示するのに1分以上かかるし、
そんな環境でspamを削除するのは体力勝負の我慢比べみたいなものだ。

これは何とかせねばならないと、雨雲を忘れたような梅雨入り後の青空の下、
神頼みをすることにした。

すぐ近所の八幡神社・・・ではなく、
少し足を伸ばして春日神社に向かう。

そのあたりはオトナの事情ということで。

神前町1丁目は八幡神社の南。

神前町と言えば、すぐにあの大楠が思い浮かぶ。

六甲小学校の南西、巨大な楠に包まれた春日神社。

今でこそ周りに建物が建ち並んでいるが、
まだ田畑や平屋の民家しかなかった時代には、
今では想像も付かないほど存在感だったはずだ。

目の前の看板には「樹齢等には諸説あり明らかではない」と書かれている。

樹齢は500年とも1000年とも言われているようだが、
人間のモノサシで何年と数えるのが申し訳ないほど神々しいではないか。

犬や猫の年齢を「人間で言うと何歳」と喩えるのは無意味だと
日頃から思っているが、こういう大樹を相手に何年と数勘定をするは、
なんだか申し訳ないような気分になってくる。

大樹を支える支柱も新たに加わり、
夏の日差しの下で心地よい木陰が守られている。

もし、この樹の声を聴くことができたら、大楠は何を喋るだろうか。

境内は静かだけれども、樹形から会話を想像してみると、
案外賑やに灘話で盛り上がれるような気になってくる。

ここは、灘でも屈指のスピリチュアルでヒーリングな場所ではないだろうか。

大楠を見つめていれば、
忌まわしいspamのことなんかすっかり忘れてしまいそうだ。

さて。大楠の木陰を出て、暑い日差しの中を山手幹線に出れば、
「神前復興(福向)の道」という真新しい道しるべが目に付く。

由来はよく分からないが、復興を「福幸」や「福向」と
書き表したくなる感覚は何となく分かる。

この感覚を、どうやって未来の灘人たちに引き継いでいったらいいだろう。

ところで、神前町あたりの山手幹線は拡幅工事も進み、
歩道でもないような車道でもないような妙な空間が取り残されている。

この拡幅工事で失われた灘の名店も数多いと聞く。

少し閑散とした山幹沿いの歩道を歩けば、
神前の大楠のてっぺんあたりが見え隠れする。
変わるものと変わらないもの、今と昔。

そんな時代の流れにクラクラしながら家に帰った。

ふとパソコンを前にしたとき、神頼みを忘れていたことに気がついた。。。
spamと闘う日々はしばらく続きそうだ。


2007年6月17日(日曜日)

第24話「神ノ木通」

カテゴリー: - aiai @ 07時59分00秒

灘小学校の北西の角に接するあたりから、神ノ木通が始まる。

将軍通の交差点にある関西電気保安協会の建物の曲線美や、
少し南に下ったところ教会のてっぺんにある「くりぬきパズル」のような
十字架などを愛でつつ、山手幹線まで出てみる。

救急車や消防車はひっきりなしに出動しているし、
前の区役所の建物には神戸大学の看板がかかっている。

私は神戸大学の関係者なのでよく知っているのだけれど、
この看板をマジマジと見たところで、この建物の中でいったい
何が「研究」されているのか、想像もつかないことだろうと思う。

(いちおう、こういうことをしてる場所です、と紹介しておきますね・・・)

金沢病院を通り過ぎれば都賀川沿いの公園に出る。

神ノ木通4丁目、都賀川公園。

この公園は、一年を通じて灘的イベントが行われる場所だ。

灘の市街部のだいたい真ん中ぐらいに位置し、交通の便もいい。

毎年6月に開催される灘チャレンジの風景

市街部ならば、灘区内のほとんどの場所から徒歩で20分以内で
アクセスできる(鶴甲などはちょっと遠いけれど・・・)という立地だ。

区役所はオトナの事情で六甲道の南に移ってしまったが、
「真ん中あたりにある」ということは、結構大事な要素だ。

区役所が移転したとしても、灘ケーサツや消防署が別の場所に移ってしまったら、
治安や防災の空間的なバランスが悪くなってしまう。

このあたりをフラフラと歩いたところで、「真ん中あたり」という雰囲気は
微塵も感じないけれど、とにかく、この神ノ木通や都賀川公園のあたりが灘区の真ん中ぐらいなのか?

そろそろ暑くなってきたので、「灘区の真ん中はどこなのか・・・?」と考えながら散歩をして、
少し疲れた頃に都賀川の流れに足を浸してみたら気持ちいいと思う。

参照記事:[naddist 040915-192]灘区の中心で、愛をさけぶ

次回は「神前町」の予定。


2007年6月10日(日曜日)

第23話「上河原通」

カテゴリー: - aiai @ 07時59分36秒

自転車やバイクを駅前に放置して撤去されてしまった場合、
上河原通1丁目のこの場所まで来なくてはならない。

「稗原保管所」という名称があるが、入り口と管理棟は上河原通にある。

線路沿いの細長い敷地が「保管所」に最適だったのだろうか。

線路沿いの町は、線路と共に暮さねばならない。

そんな線路と暮してきた町の歴史の欠片を見つけた。

将軍通から下川原の交差点に至る道が、線路の下をくぐり抜ける。

そのトンネルをまたぐように小さな白い歩道がかかっている。

歩道の真ん中、小さな少女の銅像がある。

普通、銅像には「やすらぎ」「なかよし」という無難なタイトルが付けられる場合と、
「フラワー66星人」「弧における多くの突端」とかいうワケの分からないタイトルが付けられる場合に分けられる。

ところがこの像には銘板もなく、何の説明もない。

ある意味、シュールで斬新なのかもしれないが、謎は深まるばかり。

銅像の周りをグルグル回るばかりでは怪しさ倍増なので、今度は線路の南に回る。

線路敷地の南側までが上河原通となっている。

そして、あの銅像から線路を挟んで南側の同じ場所には、
別の銅像が建っているではないか。銘板には、こんな詩が刻まれていた。

手をつなぐ

河原の街の榮ゆるを

やわに見守る

六甲の嶺

銅像の裏には「立体交差完成記念 昭和五十八年四月吉日 下河原商店会」とある。

コト真相を確かめるべく、たまたま近くにあった「ヘアーサロン・カイ」のご主人に尋ねてみたら、
こういうことのようだ。

昭和40年代の終わり頃、まだ線路に踏切があった頃の話だ。

線路をまたぐ8m幅の道路の両脇には、商店会の名にふさわしくたくさんの店があり、
人の行き来も多かったそうだ。

ところが、踏切をやめて立体交差にする計画が持ち上がり、
地元としては人の行き来を妨げないようになるべく平らにしてほしい、
ということで線路の高架化を求めたという。

だが高架化は実現せず、線路の下にトンネルを掘って道路を通すことになった。

8m幅の道路は現在のように拡幅されてしまったが、地元の要望ということで、
なるべく歩行者が行き来しやすいような歩道を取り付けつけることになった。

そして、立体交差と歩道の完成記念として銅像が建てられた。

銘板に刻まれた詩は、ヘアーサロン・カイの先代のご主人が作ったものだそうだ。

線路の北側にある上河原通の銅像も、同時に建てられたものだ。

しかし、線路で隔てられた町の「事情」から、
北側の像には何の説明も付けられていない。

歩道の脇に佇む少女の像は何も語らないけれど、
線路と道路によって北と南、東と西に分けられた町の歴史を、
一人で背負っているんじゃないかと思えてきた。

少女の像は、今日も遠く六甲の嶺を見つめている。

次回は「神ノ木通」の予定。


2007年6月3日(日曜日)

第22話「大土平町」

カテゴリー: - aiai @ 07時59分48秒

町名表記上は「おどがひらちょう」と読むようだ。

川を挟んで、1丁目と2丁目ではだいぶ趣が異なる。

まず、六甲登山口から山側に向かおう。

六甲学院の中高生、神戸大学や松蔭女子学院大の学生で賑わう市バス36系統沿いの道には、新たに26系統の愛嬌ある新型バスも走り始めて賑やかだ。

そこから大土平町に一歩足を踏み入れれば、石垣の邸宅に包まれた昭和初期のような六甲の雰囲気を味わうことができる。

六甲川も、下流から上がってきてこのあたりまではノッペリとした石垣三面張りが続くが、ここから上流は急に山に吸い込まれるような雰囲気になっている。

川の中州のような部分に階段で下りてみると、水を含んだ柔らかい土と草の感触が楽しい。

しゃがみ込んで下流を見れば、橋の下から海が見えるような気さえしてくる。

川の西側に渡り、大土平町2丁目エリアに差し掛かると、対岸と違って庶民的な雰囲気の町になった。

日に日に強まる五月の日差しを遮る神社の大樹が、とても優しく頼もしい。

ここだけは、昭和どころか、はるか昔から変わらない場所なのかもしれない。

神社のすぐ上にある崖は、神戸市街部の「街」と「山」を分ける境界線だ。地図を確認すれば、このラインがまっすぐ伸びているのが分かる。東は渦森台、西は新神戸〜諏訪山〜会下山あたりまで伸びている。

六甲川まで戻ると、視界が全て石垣で覆われてしまうような錯覚に陥る。

原付に乗った学生が、石垣に目もくれず目の前を走り去っていった。


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