岩屋中町の1丁目は、阪神西灘駅からHAT神戸方面に歩いてすぐ。
線路沿いに西に向かえば、岩屋公園に至る。
岩屋公園は現在、少年野球専用グランドになっているようで、
この日もところ狭しと子どもたちが練習していた。
小学生ピッチャーとは言え、
僕なんか一瞬で三振を取られそうなコントロールとスピード。
近所の通りがかりのオジサンな僕は、
岩屋公園からメジャーリーガーに!なんて過剰な期待を寄せながら、
ついつい熱い視線を送ってしまう。
公園をうろうろしていたら、味わい深い水道を発見。
地面からぶっきらぼうに突き出た鉄の柱。
真新しい光を放つ蛇口とのコンビネーションが斬新だった。
野球少年たちの元気な声を遠くに聞きながら、
傾き始めた冬の太陽が公園の水道に日時計のような影を添えた。
岩屋中町4丁目、龍泉寺。
青銅のレリーフが空を見つめ、
割れ目の入った石像がにこやかに佇んでいた。
ここに来て急に、震災の気配を感じてしまった。
石仏たちは、今年はどんな1月17日を過ごしたのだろうか。
そして、敏馬神社。
5年くらい前、敏馬神社の祭りに来たことがある。
まだ倒れた灯籠があちこちにあったが、
本殿正面の階段を駆け上がっては引き返す雄壮な御輿に感動したのが懐かしい。
この日の境内は、静かな冬の空気に包まれていた。
敏馬の浦が万葉の時代から歌に詠まれてきたことは知られているが、
境内に設置された「歌枕『敏馬』を吟詠せし和歌・俳諧」を見ていたら、
こんな新しい歌にもぐっときた。
涛(なみ)ならぬ 自動車の爆音 背(せな)にして
敏馬神社の 石階(いしだん)をのぼる(富田砕花・詩人)
敏馬神社のすぐ西隣には、BBビル。島文さんの本拠地。
阪神岩屋駅のすぐ南に、でっかいガラス張りのビルが出来たのを見かけたときは、
10秒ぐらい空を見つめてポカンとしてしまった。
最近はクラッシックカーがあちこちに置かれたりして、
さながらオールドカーの博物館のような雰囲気だ。
バラ専門店の隣りにある喫茶店だけは妙に庶民的でホッとした気分になれるが、
すぐ向かいにある料亭・神戸吉兆に入るには、もうちょっと出世する必要がありそうだ。
ガラス張りのBBビルから道路を挟んで西側に、緑色のコンテナが並ぶ。
鈍い緑色のコンテナとパステルカラーの高層住宅のコントラストが妙に気になった。
万葉の歌人がこの風景を見たら何を想うだろうか・・・なんて考えていたら、
すぐ後ろを爆音のトレーラーが駆け抜けていった。
この空だけは、千年前の灘人が眺めた空と同じだと信じたい。