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2006年12月30日(土曜日)

昔話、今話

カテゴリー: - WACK! @ 17時21分06秒

年内最後の更新は、灘っ子を育てたおばあちゃんの話から。

おばあちゃんが子どもの頃は、とても忙しかった。
おばあちゃんは農家で育った。
朝は起きたら鶏の世話をしてから学校へ行った。
学校から帰ると一番下の弟をおぶり、
下から二番目と三番目の弟の手を引いて遊びに出た。
一人で遊ぶことなんて無かったそうだ。

いや、遊ぶ時間そのものが少なかった。
帰るなり母親に糸巻きの手伝いを頼まれた。
風呂を沸かすのも自分の仕事。
井戸で水を汲んで、五右衛門風呂まで15往復もする。
その後は大量の水を沸かさなければいけない。
晩ご飯の準備を手伝い、針仕事もある。
子どもの服を店で買う時代では無かったのだ。
農繁期には田植え、草取り、収穫…
勉強しろとは一言も言われなかった。
子どもたちも家での役割を果たさなければ
家族みんなの生活がままならなかった。
子どもたちもそれをわかっていた。

暇無く働いていても、親と話す時間はたっぷりあった。
菜っ葉を切りながら、もんぺを縫いながら、麦の種をまきながら、
いっぱいいっぱい話をした。
いっぱいいっぱい愛を感じた。

おばあちゃんは灘で五人の子どもを育てた。
お店を営むおばあちゃんの家は忙しかった。
手を離せないときにはお姉ちゃんに晩ご飯の準備を頼んだ。
弟は中学に入る前からお父さんの配達を手伝った。
勉強しろとは一言も言わなかった。
子どもたちは家での役割をしっかり認識していたという。

おばあちゃんの孫が育つイマドキ、
幸い世の中は便利になった。
ボタン一つで風呂には湯が張られる。
料理をする時間が無くても外食、惣菜で事足りる。
お金で時間を買える。
子どもが家庭の役割に従事しなくとも家族の生活は成り立つのだ。

それでもイマドキの子どもたちだって忙しい。
学校から帰るなり塾だ、習い事だ。
親から離れた場所で、自分のために時間を使っている。
今自分のために出来ることに精を尽くすのが
親から与えられた自分の役割だ。

家庭の役割から切り離され、親との関係から切り離されたのが
どうやらイマドキの子どもたちを取り巻く状況らしい。
忙しい中でも親子の交流を十分に持てた昔とは
決定的に違う部分である。

子どもたちに必要なのは愛国心を植え付けることなのか
ゆとりを持たせることなのか
生きる力を"教える"ことなのか

必要なのはお勉強が出来る"かしこさ"なのか
子どもたちの好きにさせてやる"自由"なのか
家族で同じ時と場所を共有するだけの娯楽なのか

こんなイマドキでも立派に育つ子どもはたくさんいる。
しかし、社会性が伸びない子もいて、問題が起きてもいる。
今の全てを否定する必要はない。
今と昔の、いいとこ取りをすればいいのだ。
だから、何がそれぞれの「いいとこ」なのかを
しっかり見極めなければいけない。


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