もうすぐ水道筋に音が溢れる日がやってくる。
灘っ子たちの周りにも音が溢れている。
好きだという気持ちの表れ方には二種類ある。
それが欲しくて欲しくて仕方がない、呑み込むような表れ方と、
気が付けば心を満たしていて、じわじわ広がっていく表れ方と。
部屋の隅で、前触れ無く歌が始まる。
誰かが歌の信号を発信すると、
その輪は広がり干渉し、大合唱となる。
同じ波長を持つ同級生たちのみ受信できる信号。
誰かがきっと受信してくれる、そう思うから発信するのだろう。
子どもたちの心は、今、音で満たされている。
それに気付くではなく、しかし共鳴できる相手があることを確信し、
心に相互作用しているのである。
不可視なラインが耳を通して繋がって見える。
これが「好き」なのであり、
これを通して繋がれるのが「仲間」なのだと気付くのは、
子どもたちには難しいかもしれない。
無意識に心を満たし、使っている便利なツール。
これを認識し、能動的に使えるようになればどうだろうか。
子どもたちが好きを選択し、広がる輪を広げる輪に変えることができる。
音って楽しい。嬉しい。
心の底からそう思える子どもたちが増えて欲しい。
音に携わってきた一人として、そう思う。
教師も親もそして僕のような子どもに関わる人間も、
子どもたちに教えるではなく、気づかせるではなく、
子どもたち自身が気づけるような環境を作ってやらなければ。
そんな事を考えた美野丘小の児童音楽会だった。
パクりな題で申し訳ないが、灘に溢るる音に敬意を表して。
みんな、よい音楽会本番を。