河鹿の音色が木霊のように呼応する。
湿り気を帯びた冷ややかな山風が
昼間の暑さに合わせた半袖の腕を刺す。
眼前には灘の街、背後には重い闇。
山と山の手の境界を感じながら心を静める。
「こんばんわ」
闇の中から聞こえた気がして振り返った。
「おう、こっちや。そのリュック、もしやと思ってな。」
一段下がった川沿いの小径から緩い服装の男性が近づいてきた。
今朝この場所を教えてくれた皮膚科の先生だった。
「七時頃に一度来て、今日はこれで二度目や。」
左手のビールを口にし、げふとおくびを出した。
二人で橋の欄干に腕を預け、青谷川の流れに視線を落とした。
緑がかった黄色の光が二つ三つと流れては消える。
それは先生が診察の合間にこっそり教えてくれた宝物だった。
「愛というよりも執念やな。」
土砂降りの中でも飛んでいるんだと教えてくれた。
橋桁のすぐ下を一筋の長い光が通り過ぎていった。
「守山にルミナリエみたいに蛍が集まる木があるんやけどな、
人工的な感じがしてなあ…ここくらいの方がええんや。」
同時に数えられられる光は多い瞬間で5つくらいか。
不意の明滅を捉えようと視野すべてに意識を潜り込ませる。
そのときの気持ちは夜空に流れ星を探すのに似ている。
「近所の人らがここに幼虫とニナ貝を離しとるんや。
僕の友人がそれに関わっとってな、もう30年ほどになるそうや。」
目の前の光景は、一朝一夕で為し得たことでは無いのだ。
「僕らの世代の後に続くもんが出てきてくれんとな。
それこそ20年、30年と、その先も続くよう。
そう思て君に声を掛けたんや。
君んとこの子どもらも連れてきて、見せたって欲しいんや。
この自然が続くよう、この自然を好きになるよう。」
僕もまさにそのことを考えていた。
こんなにも愛おしい場所が灘にはあるのだ。
こんなにも掛け替えのない営みが青谷にはあるのだ。
一人でも多くの子どもたちの見て欲しい。
感じて欲しい。
疎らに飛び交う光を眺めながら
この場所で見せるであろう子どもたちの表情を想像した。
いつまでも欄干にもたれて眺めていたかった。
しかし、僕の寝床はここから1時間もの遠方にある。
名残惜しくも先生に別れを告げ、
闇の隙間から抜け出して、街の明かりを目指した。
振り返り見た闇はほのかに暖かい感じがした。
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青谷川の青谷道登山道入り口あたり
周辺は民家なので呉々もお静かに。
市バス2系統 青谷バス停から山手へ徒歩約3分
※6/13 一部改変
その後のリサーチで、皮膚科の先生が見守り始めたのは
去年からだということがわかりました。
また、蛍のお世話をしているのはご友人個人ではないことも
わかりましたので、表現を変えました。
調査不足ですみません。