海軍にしてみれば今、発注している巡洋艦、潜水艦だけでなく
今後の艦船建造にも、川崎造船所の今後が大きく影響することを
感じ取っていた。
「事は一民間企業の問題にあらず」。7月19日、海軍は閣議の
了承を得て海軍艦政本部臨時艦船建造部の設置を決定した。
ようは川崎造船所に海軍省の艦船建造の部署を置き、艦船建
造に従事する職員約6千人もろとも海軍省の管轄のもとに置き、
川崎造船所で建造中の7隻の艦船(巡洋艦1、潜水艦6)の工
事を遂行しようというのだ。
窮場のしのぎはできた。しかし「海軍の威を借りて」という
反発が世論から起こるであろうことも、また予想はたやすい。
幸次郎の心の中は、まだ自力での造船所の経営立て直しが大
きく占めていた。「あとは人員整理しか、なか」幸次郎は苦渋
の決断を下そうとしていた。
艦政本部臨時建築部の看板が川崎造船所の正門に掲げられて
から10日後、川崎造船所は約三千人の人員整理に踏み切るこ
とを公表、8月には追加で三百人の付属員を解雇、ほかに職員
約二百三十人を休職とした。残った職員も給与の10%カット、
幹部職員は報酬を返上、幸次郎自身も私財五十万円を会社に拠
出した。
初秋のころ、幸次郎は役員室の関係職員のために、慰労の宴
席を設けた。経済的にも苦しい中、川崎造船所立て直しに奮闘
する者たちばかり。日頃の労に報いたいとの幸次郎のせめても
の心づかいであった。
花隈の料亭で、一堂は天婦羅をふるまわれた。久々のごちそ
うに、皆、相好を崩し、カリカリに揚がった衣の歯ごたえを楽
しんでいた。
宴席も、酒も入り崩れてきたころ、幸次郎の右腕的存在であ
った武文彦は、幸次郎から声を掛けられた。
「武君。いっと(少し)」。武は宴席から離れた座敷へ招き
入れられた。
(この項つづく)