底抜け!痛快!!船成金の館(70)(02/21 22:28) Page:1
Author : dr-franky
Category: まちなみ・建築

 一週間のご無沙汰、どころか2月も最終週に突入してしまった。
 遅ればせながら今年もよろしくお願いします。

 昭和4年のある日、銀次郎は、いつものように旧居留地の一角
に建つビルにある、自分の事務所へ顔を出した。書生の永原が、
「実は、社長に面会の申し込みをされているお方があります」と
告げた。
「誰だい、また変な記者じゃないだろうな」。銀次郎は、いぶかし
がった。
 永原は「衆議院の中井一夫議員です」、といった。

 中井一夫は、東京帝国大学法学部を卒業した後、神戸地方裁判
所の判事に任ぜられた。大阪・船場の薬屋を営む父の影響を受け
て、一夫はかねてから政治家の道を探っていた。
 3年後、終身保障の判事の職をあっさり投げ出すと、中井は東
京の砂田重政と共同で、兵庫県庁の西、基督教青年会館近くの下
山手通6丁目に弁護士事務所を開いた。
 おりしも、普通選挙を求める声が労働者を中心に盛り上がって
いた時期、犬養木堂が打ち出した政界革新論に感化をされた少壮
の青年弁護士の胸中には、少しでも早く政界へ打って出たい、と
いう気持ちが湧いていた。 

 大正13年、悪法「治安維持法」と抱き合わせ販売のようにして、
投票者の所得制限を撤廃する普通選挙法が公布。その3年後の昭
和2年、普通選挙法公布後初の兵庫県議会選挙で、応援演説での
弁舌の威勢のよさを買われた中井は、「知らないうちに」葺合選
挙区から立候補をする手続きをされて、政府与党のベテラン議員
を向こうにまわして善戦し、新人ながら3位で当選を果たしたの
だった。ちなみにトップ当選は、日本労農党から立候補した関西
学院文学部の教員・阪本勝であった。
 昭和3年、衆議院が解散をすると、中井は政友会から神戸一区
で立候補し、当選を果たした。

 「次の選挙はまださきのはずだが、気の早い支援依頼なのか」
位に中井からの面談申し込みの理由を銀次郎は思いながら、面会
の日取りを永原と打ち合わせしていた。

 数日後、銀次郎の事務所の応接室で、緊張した面持ちで待つ中
井の姿があった。
 銀次郎は一つ咳払いをして応接室に入った。
 「このたびは、お忙しい中、お時間をいただき、ありがたく存じます」。
深々と中井は頭を垂れた。
 「中井先生、今日はまたどういった御用向きで」。銀次郎は問うた。
 
 中井は真顔で、 「実は、勝田様、いや勝田先生に、次の衆議院
選挙に打って出ていただきたくお願いに参った次第です。」と銀次
郎に懇願をした。

 「え、このわたしが、か。」あまりに唐突な話に、流石の銀次郎
も一瞬たじろいだ。
 「だいいち、次の選挙に出るのは中井先生、貴方なのでは。」  
 銀次郎は現役代議士の意外な依頼に困惑していた。(この項続く) 


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