底抜け!痛快!!船成金の館(72)(06/28 00:01) Page:1
Author : dr-franky
Category: まちなみ・建築

少し早い桜の開花のころから、気付いたら梅雨の終わりごろに
差し掛かっていた。先を急ぎたい。

昭和5年(1930)2月20日、普通選挙となって2回目となる第
17回衆議院選挙で、銀次郎は神戸選挙区で野党・政友会から
立候補し、トップ当選を果たした。
 神戸の海運界が一致団結した末の勝利であった。「それは
清い立派な選挙戦だった」と勝田を担ぎ出した中井一夫は胸
を張る。だが、与党・民政党に与する官憲は、選挙違反が
あったとして、勝田陣営の選挙参謀格である佐藤國一と松本
博邑の逮捕状を請求したのだった。

 松本は、半年もの間、各地を潜伏して勝田の当選が確定した
のちに警察に出頭した。兵庫警察署に収監された佐藤に、番頭
格の大原尚三が算盤片手に接見の許可を求め、鉄格子越しに大
陸からの石炭運搬便の契約の裁決を仰ぐ、という苦心をしなが
ら、社長逮捕という異常事態の中で佐藤汽船の存続を賭けた交
渉を重ねるという逸話もあったが、詳しくは触れない。
 ともかく、松本や佐藤らの身を賭した闘いもあって、銀次郎
は当選を確かなものとしたのだった。

 当時は、例えば、神戸市参与会(=市会)議員と兼務する形
で衆議院議員を務めることが制度上できた。銀次郎は市会議長
という重責を担いながら衆議院議員に就任するという道を選択
した。
 その前年、銀次郎は国際連盟神戸支部長に選任。また6月には
神戸に行幸した天皇陛下に拝謁を許され栄誉にも浴した。ます
ます公務にいそしむことになる銀次郎であった。
                   (この項、つづく)


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