被災地を思う銀次郎たちの重々しい空気とは対照的に、上海丸は順調に
航海を続け、紀淡海峡を抜けて、熊野灘へ出た。
現地に着けば、徒歩での移動は避けられない。まずは鋭気を養うために
も休もう、と寝床に横になった銀次郎達、神経は昂ぶっていたものの、神
戸港を出るまでの東奔西走で、三者三様で疲れていたのか、機関の振動も
何のその、寝入ってしまった。
夜が明けた。銀次郎は東の水平線から昇った太陽をまぶしそうに見やり、
そして北へ視線を向けた。かなたに富士山が見える。
もうすぐ三浦半島の島影が見えてくるだろう。
横浜も相当な被害を受けている、との情報がもたらされていたので、上海
丸を横浜に寄港させて、ある程度物資を陸揚げするよう、石橋市長、滝川会
頭、銀次郎の三者で決めていた。
陸地が近づいてきた。斜面が崩れて木々の間から崖が痛々しい有様を見せ
ているところもあった。だが、それはまだ序章に過ぎない。
横浜の町が見えてきた。
甲板上の石橋市長、滝川会頭、銀次郎は迫ってくる横浜の町の様子を見て
愕然とした。
威容を誇った新港埠頭の岸壁が崩れ、目印代わりの巨大な煉瓦造三階建倉
庫二棟のうち一棟は、ちょうど半分のところで瓦礫の山が出来上がっていた。
取るものとりあえず、三井物産差し回しのはしけが上海丸の船腹に取り付
き、支援物資の揚陸作業が開始された。
銀次郎たちは横浜の町に上陸すべく、ランチに飛び乗った。(この項つづく)