底抜け!痛快!!船成金の館(54)(08/30 14:41) Page:1
Author : dr-franky
Category: まちなみ・建築

 大桟橋に近い岸壁に、ランチは接岸した。
 石橋市長、滝川会頭、銀次郎は、ひとまず神奈川県庁を目指した。
 栄華を誇った通りは、瓦礫の山か、あるいは余燼のくすぶる焼け棒杭の
広がる焦土と化していた。その中に、倒壊を免れた横浜正金銀行や、開港
記念館の時計塔が屹立していた。

 明治建築界の巨魁・片山東熊の手がけた・仏蘭西式の赤煉瓦の殿堂も、
大きな被害を受けていた。
 安河内知事が臨時の天幕で一行を出迎えた。

 「このたびの甚大なる災害、謹んでお見舞い申し上げます」。
 石橋市長が言葉をかけた。
 「いち早く救援に駆けつけていただき、かたじけない。」
 「この後にも、救援船が参ります。」
 「しかしながら、市中もこのような有様で、荷役を行う沖仲士も集まら
ない状況です。しかし、多少の時間が必要だが、県としてなんとしてでも
手当てして、神戸の篤志を県民へ渡せるよう努力いたしましょう」。
 
 横浜市役所へも出向いて、渡辺市長と面会した一行は、上海丸の物資陸
揚げの都合も考えて、一路、徒歩で東京へ向かうこととなった。
  
 かつての東海道の道筋を、一行は進んだ。マッチ箱のようにへしゃげた
かつての町並みのなかに、かろうじて建っている家が見える。
 行く道に、銃剣を装備した歩兵が警戒しているのに、一行はたびたび遭
遇した。「何でも暴動のうわさがあるそうです」。市長秘書が銀次郎に耳
打ちした。

 上陸してから、半日以上経ったが、このような非常時に食事にありつけ
る場所などありえるはずもなかった。
 だが、市長秘書がどこからか、炊き出しのうどんを一杯調達してきた。
 だが銀次郎は、「わしはよいから、市長と滝川君とで分けてください」
と頑なに断る。
 「道中は長いですから、せめて一口だけでも」、と石橋市長が薦めても
「なに、私も若い時分は、すきっ腹抱えてどれだけ過ごしたこととか。平
気ですよ。」と譲らない。

 結局、この後にも、握り飯が手に入ったが、銀次郎は市長と儀作に譲っ
て、結局、東京を出るまで、食事らしい食事を取ることはなかった。
                         (この項つづく)

 
 <画像:関東大震災 関内の惨状>


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