底抜け!痛快!!船成金の館(57)(10/26 09:24) Page:1
Author : dr-franky
Category: まちなみ・建築

気がつくと、平成20年の世の中は10月も終わろうとしているのであった。
10月は土曜日にステアリングを握って遠出する週末が続いたので、つい金曜
日の夜なべを避けてしまいがちだった。

読者の皆様、筆者の筆不精をどうかご容赦願いたい。

震災直後は、デマに踊らされた自警団によって朝鮮半島出身者が虐殺されたり
あるいは憲兵隊の甘粕中尉が大杉栄一家を惨殺するという陰惨な出来事が起こ
った被災地であった。が、秋風が吹く頃にもなると、ようやく京浜の地でも日常
を取り戻そうとする動きが人々の間で本格的になってきた。

 神戸からの救援物資の配給に没頭していた儀作と銀次郎も、そろそろ区切り
をつけるとき、と悟った。残務整理に取り掛かって、関係先への挨拶廻りをは
じめた。
 儀作は、現地入りしてまもなく、一台の自動車を用立てた。物資配給に使う
ためで、荷が到着する芝浦と市中の交通にフル稼働させた。しかし、震災で悪
路と化した市中の道に、さしもの「馬なし車」も足回りがだめになってしまっ
た。儀作は求められれば誰かれとなく自動車に便乗をさせたのことも、車の酷
使に拍車をかけたかもしれない。

 「しかし大したものだ。この自動車も、よう働くのう」銀次郎が感心したよ
うにつぶやく。
 銀次郎と儀作は自動車で横浜へ向かっていた。2人を乗せた2台目になるこ
の車も、そろそろ足回りから不吉な騒音が聞こえ始めている。
 
 横浜商工会議所の仮事務所へ出向いた。会頭の有吉忠一が出迎えた。有吉は
元兵庫県知事。2人とは旧知の仲である。「いや、皆さんの奮闘振りに、われ
われもどれほど助けられたことか」。無償で立ち働いた2人を、有吉会頭は労
った。
 「ところで」有吉会頭は少し目を伏せがちに切り出した。「実は震災の起こ
る少し前に、アメリカから横浜港に自動車が25台届いたのだが、震災で買主
が亡くなってしまって行き場を失っているのです。どなたか、引き取ってくだ
さるような方の心当たりはないですか。」       (この項、つづく) 

 


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