底抜け!痛快!!船成金の館(58)(11/30 08:01) Page:1
Author : dr-franky
Category: まちなみ・建築

 しばしの沈黙の後、儀作は銀次郎の顔を見、それから有吉会頭に
向き直ってこう答えた。「承知しました。私どもで引き受けさせて
いただきとう存じます」。
 突然の儀作の申し出に、さしもの銀次郎も驚いたが、有吉会頭は
予想もしない事のなりゆきに、一瞬あっけにとられたようだったが、
すぐに「それは非常にありがたい。ぜひ、よろしくお願いする」
と受け入れた。

 儀作は、この2ヶ月間というもの、この「馬なし車」の威力に惚
れ込んでいたのかもしれない。思い切って自分の会社・東洋燐寸に
社用車を導入しようと考えていたのかもしれない。いずれにせよ、
数ヵ月後、上沢通の東洋燐寸本社に、25台の車が運び込まれるこ
とになったのである。

 戦後にいたって、滝川家はトヨタ自動車販売から、兵庫県におけ
るトヨタ車の販売代理権を取得して、兵庫トヨタ株式会社の経営に
乗り出すことになるのだが、このときの儀作には当然のことながら
知る由もない。しかし、自動車販売という分野に乗り出す素地は、
すでにこのとき儀作の中に出来上がっていたと見るべきだろう。
 
 神戸に戻った銀次郎、相変わらず港には不景気風が吹いていた。
 金策も困難さが常に付きまとっていた。

 ある月の美しい夜、銀次郎は久しぶりに、青谷の邸で、芳夫人と
すごしていた。月光に照らされた大阪湾が真珠の海のようにも思え
る。

 思えば、神戸で店を開いてからしばらくして、仕事の接待で行っ
た花隈の宴席で見初めたのがきっかけだった。
 それから20年あまり、苦労も喜びも分かち合ってきた芳。以心
伝心ということばあるが、銀次郎はある決意を伝えなくては、と考
えていた。

「なあ、芳」、銀次郎は傍らの芳に静かに語りかけた。
「わしは、自分のためでもあり、お前のために、この家の普請をや
った。しかし、船(海運)の調子は一向に良くならぬ。苦労をかけ
ている社員達にも、ややもすれば給料を払えぬか、というときもあ
る。
 そうしたなか、この家でぬくぬくと過ごしていてよいもんか、と
思うようになった。
 芳、いずれ、この家を引き払うときがやってると思う。済まぬが
覚悟をしておいて呉れ」

 芳は、黙ってうなずいた。そして「あなたがお建てになった御家
です。出ようとあなたがお決めになったら、それに従うまでのこと。
 夢のようなひと時を、すごさせてもらっただけで、私には十分で
ございます。」と答えた。

 2階の縁にたたずむ2人を蒼い光が照らしていた。

                    (この項、つづく)


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