底抜け!痛快!!船成金の館(60)(01/31 23:59) Page:1
Author : dr-franky
Category: まちなみ・建築

1月もあっという間に去って行こうとしている。あんぐりとするわけ
にもいかない。

 裸一貫に戻ったとはいえ、公人としての銀次郎は相変わらず多忙で
あった。
 新開地の聚楽館で地元新聞社主催の青年による模擬国会が開催され
ることになった。おりしも普通選挙を求める運動が広がりを見せてい
る頃の話である。主催者は銀次郎を総理大臣役に指名。鷹揚に銀次郎
はこれを受諾した。
 
 いささか左傾化した青年代議士役たちは、熱を入れて政府側を追求
する。これに外務大臣役の藤原米造が剥きになって反論を始めた。し
かし敵も然るもの。次々と材料を示しながら追求の手を緩めない。
 ついに藤原は壇上でおいおい泣き出す始末。

 青年代議士達は、首班役の銀次郎にも挑発するのように、演説に立
つ銀次郎に野次を浴びせたり、ひどくなると罵倒をする者まで現れた。
 しかし銀次郎「総理大臣」、平然と政見を述べ、時には微笑まで浮
かべて答弁をする。その捌きは見事であった。
 休憩時間、控室に戻った内閣一同を、新聞社の阪本部長が平謝りで
出迎えた。
 「いや、模擬国会とは申せ、あまりの青年達の昂揚ぶり、御気を悪
くなさらず、ご辛抱ください」。
 「いやいや、阪本部長」。銀次郎は笑った。「若い者は、あれぐら
い威勢が良くなくては駄目ですよ」。泰然とした風に、阪本は「なん
と剛毅な方なのだろう」と痛く感じ入り、と同時に「癇癪を炸裂させ
て帰られてしまうのではないか」という杞憂も吹き飛んで、胸をなで
おろした。

 当時は、揉めにもめて普通選挙法が第五十回帝国議会で漸く成立した
ばかり。それも悪名高きあの治安維持法と抱き合わせでの施行である。
 それでも、施行前よりも有権者が4倍に増えた、という前進である。

 満足そうに会場の聚楽館を後にした銀次郎を、国政の舞台へと押し
上げる運命の歯車は、この神戸の片隅で動きだしつつあった。しかし
そのことを銀次郎は知る由もなかった。(この項、つづく)。


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