第一夜 花筵王の館 新家で生中をオーダーする(12/07 07:00) Page:1
Author : dr-franky
Category: まちなみ・建築

私は、まだ「原田のジェームス邸」の正体を突き止めあぐねていた。

こうしたお屋敷の身元を調べる時に役に立つのが、慶応義塾の同窓会が母体の交詢社が出版している「日本紳士録」である。
 小金持ちが「いあやぁ紳士録に載っちゃってね」と自慢する、お金をそれなりに積めば載せてもらえると風のうわさに聞く「紳士録」だが、「日本紳士録」は明治30年に初版が出版されている。いわば「紳士録の中の紳士録」である。
 そのバックナンバーは、神戸では大倉山の図書館に行くと、レファレンスで手続きすれば大正中期以降について、書庫から出して閲覧させてもらえるし、物によっては貸し出しにも応じてくれる。しかし、北は北海道から南は九州まで数万人のオーダーで人名、職業、住所などのデータをB5版の紙面に押しこんでいるので、広辞苑よりも分厚いボリュームと重さがあるので、一冊でも借り出すのは億劫で、たいていは館内閲覧とコピーでごまかしてしまうことが多い。
 この時代の紳士録は、若林、若井などの土着系、三田からやってきた九鬼の殿様や小寺といったベテラン明治維新新住民系、勝田、内田、山下など日露戦争以降成金系のセレブはもちろんだが、なんと町の産婆さんまで載っている。掲載基準が納税額によっていたから、読み込むと今の「日本紳士録」にはない面白味が発見できるのだ。
 話が長くなったが、この日本紳士録の昭和10年代の発行分を調べていても、このジェームス邸のある界隈の住所に住んでいそうな人物に行き当たらなかった。
 
(だが、ここで、建築探偵暦がまだ浅かった私に、重大な見落としがあった。だが、そのことが判明するのはこのときから干支が一回りするだけの時間の経過が必要だった。)
 
 ますます、私の心の中で「原田のジェームス邸」の影は大きくなっていったのだった。


コメントする

次の記事へ >
< 前の記事へ
一覧へ戻る

WP-Ktai ver 0.5.0