東京英和学校を辞した銀次郎だが、幾ら熱意があるといっても、
ぽっと出の若者を従軍記者として採用しようという新聞社など、当然
の事ながらあろうはずもかった。
いや、従軍記者というのは口実に過ぎなかったのかもしれない。
彼は横浜の居留地近くを歩いていた。従軍記者が駄目なら、居留地
の貿易商人の懐にもぐり込んでやろう、と考えたのだ。
さりとて、煉瓦造や石造風の立派な商館に飛び込む肝っ玉は、流石
の銀次郎も未だ持っていなかった。ふと、傍を見ると「洋紙取扱山下
商会」という看板が上がった仕舞屋が目に付いた。「紙か。これから
の時代、紙は飛躍的に需要が伸びるだろうし、ここで商売人の見習い
をするのも悪くは無いか。よし一丁、ここへ飛び込んでみるか」。従
軍記者への想いはどこへやら、この淡白さも銀次郎なのである。
銀次郎は戸の向うへ声を掛けた。
戸をあけて出てきたのは、浅黒で、小柄だが眼の底には鋭いものを
秘めた、年のころは三十前の男だった。
「御用向きは」、胡散臭そうに銀次郎の顔を見て、店の主人らしい
小男がぶっきらぼうに切り出した。
銀次郎は「人手は要りませんか」と申し出た。「一旗挙げようと、
東京へ出てきたが、なかなか思ったような稼ぎ口が無くて。」
「おぅ、お前ぇさん、伊予の出か」最初は怪訝そうな眼差しの男-
山下の目が少しだけ緩んだ。どうも、この男も伊予の国から出てきた
ようだ。
銀次郎は手短にここへ来るまでのいきさつを話した。
「へぇそうかい。無鉄砲にも程があると思うが、どこかへもぐりこ
もう、というのは眼の付け所がいいかもしれん」。けなしているのか
ほめているのか、どちらともいえない言い草で山下は返した。だが、
追い払うでもなく、銀次郎に座布団を勧めた。
銀次郎の不思議な魅力を、山下は感じていたようだった。
銀次郎は進められるまま、腰をおろした。 (この項つづく)