新年、明けましておめでとう御座います。
本年も宜しくお願いします。
大正5年1月、青山学院へ二万円という大金の寄付を申し出た銀次郎は、
その半年後の7月、高木院長に宛てて手紙をしたためた。
銀次郎からの書簡を受け取った高木院長は、封を解いた。
書簡の内容は、青山学院のために煉瓦造による永久建築の校舎一式と、院
長館に係る建設費用一切を銀次郎が青山学院に寄付をする、というものであ
った。
驚きつつも、高木院長はとるもとりあえず、銀次郎に対して、寄付の申し
出に対する謝意を伝えるべく机に向かった・・・。
それから数週間後。青山学院の臨時の理事会が召集された。
席上、高木院長は学友・勝田銀次郎(在神戸)から、新校舎、院長館の
寄贈申し出があったことを報告した。理事会では銀次郎の申し出を受けて
新校舎と院長館の新築計画の実施を全員一致で承認した。
理事会の結果は、いち早く銀次郎に伝ええられた。
銀次郎側は、ただちに学院の事務方と、新校舎などの建設に向けた詰め
の協議を開始した。
銀次郎としては、設計は辰野金吾の事務所にお願いをしてもらいたい、
という意向であった。東京停車場も竣工し、次は国会議事堂を手掛けよう
か、と老いても意気盛んなこの建築界の長老こそ、青山学院の顔となる新
校舎の設計を委ねるのに相応しい「アーキテクト」である、という思いで
あっただろう。ひょっとすると、既に辰野に新社屋の設計を依頼していた
山下亀三郎から評判を聞いていたせいかも知れない。
依頼を受けた辰野建築事務所では、校舎館の担当に片岡安、院長館の担
当を葛西万司の両技師と定め、建設予定地の調査を踏まえ計画概略図と概
算工費見積書を作成し、まず銀次郎側に提示した後に、青山学院側に提出
した。
学院では二度の理事会で、計画概要に検討を加えて修正意見を附した。
最終的な設計が固まったのは大正5年も押し迫った12月のことだった。
施工業者も、「神戸の業者に是非」という銀次郎の意向を受けて、神戸
に根拠を置く金田組工務店に白羽の矢が立てられた。同工務店は、西宮・
今津の出で、神戸の棟梁・岸本甚八郎の元で長らく下積みをしていた金田
兼吉が、明治41(1908)年に独立して開いた、当時としては中堅の請負業
者であった。 (この項つづく)
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