善治郎は手始めに、紐育市内のとあるビルの1室にあるデスクと椅子を借り
受ける契約を取り付けた。数フィート四方だが、まぎれもない善治郎の「根城」
である。
善治郎は森村時代の蓄えの一部を原資に、神戸の藤田松太郎からの現品
見本を元に、ナフキン二万枚に花筵売り出しの広告を製作し、今で言えば
ダイレクトメールよろしく方々へ配布した。
しかし、ダイレクトメールを見ただけで連絡するようなお人よしは居ない。
当然のことながら、ナフキン広告の反応はまったくなかった。
善治郎は、安易な自分の姿勢を戒め、こんどはセールス行脚に打って出た。
怪しげな英語を操りながら、家から家を訪ね歩くうち、善治郎は何件かの注文
をもらえるようになり、次第に数万ドル単位の、まとまった注文も取れるように
なってきた。
しかし、飛行機貨物が当たり前の現代とは異なり、この頃は船便がすべて。
注文して現品が届くまでゆうに半年はかかるから、その間の生活のやりくりは、
現代の貧乏学生もかくやという有様であった。
朝は1杯のスープ、1日中セールスで歩き回って、晩飯はパン一切れ。それでも、
善治郎は「いまに見て居れ」と自らを鼓舞して耐えしのぎながら、鶴首で商品の
到着を待ちわびていた。
やがて、神戸から注文の花筵が届いた、という連絡が通関業者から届いた。
一目散に、善治郎は港の倉庫へ急いだ。「ようし。これで、やっと一息つける
ぞ」。
通関手続きの終わった商品がある倉庫へついた。
善治郎は、倉庫の中に通された。しかし次の瞬間、善治郎の顔は曇った。
(この項つづく)