前回の神戸博のネタでも紹介したが、現在王子動物園のある王子町は
元々原田の森といわれた、樹木が生い茂るうっそうとした森であった。
森の中には高林神社と原田神社という2つの社があった。
ということで、古くはこの王子動物園周辺が原田と呼ばれた地域であった。
今回は、この「原田」にまつわる秘話を綴ってみたい。
また動物園とはズレるが、これもまたこの地の歴史ということでご容赦。
灘区内には5つの公立中学校がある。
それぞれの中学校は通常その学校が存在する地名にちなんで名前がつけられる。
上野中学は上野にあり、烏帽子中学は烏帽子にあり、鷹匠中学は地名ではないが、
長峰中学は長峰にある。
問題は原田中学校である。
船寺通にある原田中は地名=校名の原則からすると、船寺中学、あるいは西灘中学、
旧字名でいけば味泥中学でなくてはならない。
前述のように、原田とは王子動物園周辺の地域である。
だいたい想像がつくかと思うが、原田中学は確かに原田にあった。
正確に言うと王子動物園の東、福住小学校の中に開校した。
しかし、開校後すぐに上野中学が分離、上野、原田地域の子供たちは
上野中学へ入学するようになった。
原田を追い出された原田中学は摩耶小学校へ移転。
ここで「摩耶中学校」に落ち着くのが筋であるが、原中はまた流転する。
西灘、稗田小学校の学童を受け入れるための学校として、現在地の
船寺通へ移転、しかし校名はそのまま「原田」を名乗った。
こうして「原田にない原田中学校」が誕生した。
花園町(現六甲町の一部)にあった花園中学が長峰に移転し、長峰中と
校名変更したのとは対照的である。
余談だが原田中学から分離した中学校は原田第二中学校(原二)とならずに
烏帽子中学になった。
昭和24年原田神社は移転し王子神社に名前を変え、
昭和26年、原田の森は「王子公園(王子動物園)」と名前を変えた。
だが、原田にない原田中学校は残った。
もし原田の地に原田中学がそのまま残っていたなら「王子中学」に
なっていた可能性もある。
王子動物園から遠くはなれた原田中学校の校区である岩屋北町に
王子動物園の臨時駐車場がある。
こんなところに誰が車を止めるというのだろう?
いや、それも原田の縁かもしれない。
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ナダタマ - ZOOマニア : 原田にあった原田中学 by naddist
Trackback by reverse phone lookup — 2013年6月28日(金曜日) @ 12時54分36秒