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2008年3月6日(木曜日)

第三のゾウすべり台

カテゴリー: - naddist @ 20時00分04秒

「そういや動物園にゾウの形をしたでかいすべり台があったな」
「どれくらいでかかったんですか?」
「そやな、摩耶山くらい」
「ま、摩耶山ですかっ」

こんな話を長老クミンから聞いたのは、以前「ゾウのすべり台」を紹介した後だった
でしょうか。
「ゾウの形をした」コンクリート製のすべり台でもなく「「ゾウ舎の近くにあった」
金属製のすべり台
でもない第三のゾウのすべり台があるという新たな証言。

で、それが摩耶山くらいでかい。

ま、どうせ○ケはじめたんだろうなと、その場はやりすごしたのです。
後日「灘建築夜話」担当のドクターフランキー氏から灘ダイガクの資料として
借りていた一冊の本「日本貿易産業博覧会神戸博会誌」をなにげに眺めていたところ
こんな写真が出てきたのです。

神戸博 子供楽園
うわあつ…でつかいな! 象のすべり台
「ウワッ、でっかい象やなあ、すごいや、三頭もいるぞ」と大勢の子供たちが歓声をあげてかけ
寄つてきたが、これは動く本ものの象でなく子供の楽園のよい子たちに楽しい夢を与えようと
木で作られた高さ約四十メートルもある象のスベリ台、生まれてまだ一度も生きた象を見たこと
のないヨイ子たちは大よろこびで次から次へと滑つてゆく、トンガリ帽子の並ぶおとぎの國の
三頭の象の滑り台は子供たちの人気者だった。(『日本貿易産業博覧会神戸博会誌』(1950)より抜粋)



げげっ!…本当にあったんだ…

神戸博とは以前紹介した通り、王子動物園が開園する直前の昭和25年に開催された博覧会、
つまり神戸博会場跡地が王子動物園になったというわけです。
この博覧会の子供楽園というのが、現在の王子動物園遊園地。
そしてそこにいたのが摩耶山にまつられているお釈迦さんの生母マーヤに仕えるインド象然
としたゾウ(のすべり台)。
前述の長老クミンが言っていた
「ゾウの形をしたでかいすべり台」とはこのことだったのです。
ま、どう考えても摩耶山よりは小さいですが、灘っ子たちには大きく見えたのでしょうか?
その高さ40メートルって…。
いや、どう考えても10メートルくらいなんですけど。

やっぱり摩耶山がらみだけにホラ(貝)吹き話だったんでしょうかね。(注)


(注)霊峰としてあがめられた摩耶山では、古くから修験道がホラ貝を吹き駆け巡っていた。
   彼らは麓のクミンたちに「天狗」と呼ばれ恐れられていた。今でも山中に天狗塚、天狗岩
   などという名称が残っているのはその名残である。
   天上寺に伝えられたインド文化と日本古来の修験道文化が混じり合い摩耶山独特の
   「汽水域的ブレンド山文化」が形成されていった。
   これがいわゆる「マヤ文明」である。
   実は「リュックサックマーケット」もこの本流に乗ったブレンド山文化的行事である。
   現在でもときおりリュックサックマーケット会場に行者が現れ、出店者の度肝を抜き、
   その深遠なる音色を摩耶の山々に響かせている情景を見るがいい。




【関連イベント】
2008年3月9日に王子動物園ホールにて「第3期灘ダイガク終了記念講演会」が開催されます。
最終講義は「王子動物園学」
懐かしい動物園の映像も上映されます。
申込不要、聴講料無料ですのでふるってご来場ください。
詳しくはこちらで↓
第3期灘ダイガク終了記念講演会


2007年12月10日(月曜日)

シリ過ぎたゾウ(その2)

カテゴリー: - naddist @ 12時00分16秒

たくさんのシリが過ぎていったゾウのすべり台
「ゾウのすべり台はゾウのオリの近くにあったで」
「いやゾウのすべり台は遊園地の北でしょう」
「遊園地の北は学校があったはずや」
「学校って海星ですか?」
「ちゃうちゃう、商業学校があってん」

ゾウのすべり台の位置についてのベテランと若手の間での論争。
最近になって、灘大学3回生T村さん所蔵の1枚の写真によって
終止符が打たれました。
下記の写真です。

ゾウ舎前すべり台(S27)

昭和27年の稗田幼稚園の卒園アルバムにあった王子動物園内で写された
スナップです。
子どもたちの後ろに2基のすべり台が写っています。
よく見てください。
その後ろに「ビスコ」の広告テントに被われた喫茶室が見えます。
つまりすべり台の上が遊園地ということになります。
ということはすべり台をおりたところがゾウ舎。
しかもゾウ型ではなく鉄製のシンプルな構造です。
ベテランクミンの言っていた「ゾウのすべり台」は、ゾウ型のすべり台ではなく
「ゾウ舎の前にあったすべり台」であったということが判明しました。
これは灘的には桜ヶ丘の銅鐸発見をも凌駕する大発見でした。
やがてこの「ゾウ舎前すべり台」は消滅し、現在のスベリゾウのみに
なったようです。
下は現状の写真です。

ゾウ舎前すべり台跡(H19)

かつてすべり台があったところにはいつも諏訪子さんがいます。
子どもたちで賑わっていたゾウ舎前すべり台がなくなって
いちばん寂しがっているのは、実は諏訪子さんかもしれません。

さて、今週末12月15日(土)10:30より、いよいよ諏訪子孫の
お披露目会があります。
同時に名前も発表されるそうです。
ナダタマ案は果たして採用されたのか??
乞うご期待。

子ゾウの一般公開告知


2007年12月3日(月曜日)

シリ過ぎたゾウ(その1)

カテゴリー: - naddist @ 12時00分25秒

ズゼ&マックのベイビーエレファント誕生にわく王子ZOOですが、
忘れてはいけないゾウがあります。
王子動物園きっての人気者「スベリゾウ」。
コンクリート製のモダンなフォルムの2匹のゾウの鼻がすべり台になっている無料の遊具。
遊園地の奥、ロケーション的にはかなり裏感のある場所なのですが、
休日はいつも子どもたちで賑わい、順番待ちしている風景が展開されています。
灘っ子なら阪急王子公園駅(旧西灘駅)のアーチ下斜面とともに、
一度は滑ったことのある場所でしょう。

すべりゾウ(南景)

あまりにもよくすべるので「受験前には近づいてはいけない」という
灘伝説を産んだ場所でもあります。
「ウチは親子三代でお世話になっています!」
という人もいるくらい歴史もあり、手元の資料によると昭和30年代の
園内地図にはすでに「スベリ台」の文字が確認できます。
王子動物園の開園が昭和26年ですから、開園後しばらくして設置された
ようです。いったいどれくらいのケツ圧を受け止めて来たのでしょう。
王子動物園はご存知の通り「坂の動物園」。
園内は高低差があり、そこを坂や階段でつないでいく。
まさに神戸らしいワクワク空間シークエンスが表現された施設です。
このすべり台も敷地の高低差を利用した遊具。
王子動物園ならではといっていいでしょう。

すべりゾウ(H19)

すべりゾウ(S50年代)

上が現在平成19年、下が今から30年ほど前、昭和50年代のすべり台の
写真です。
耳の色、手すりの色など忠実に継承されていることがわかります。
30年前の写真には外国人の灘っ子たちの姿も確認できます。
現在は六甲アイランドに移ってしまった外国人学校「カナディアン
アカデミー」がまだ長峰にあったころ。
日本の子と外国の子が同じすべり台を共有し平穏に遊んでいる姿を
見ると、大人の世の中は子ども以下であることがよくわかります。
日本人の子が秩序を乱そうとすると、金髪の少年が
「何しとん!ちゃんとならばんとアカンよー!」
と流暢な神戸弁でたしなめていた姿が目に浮かびます。

実はこのすべり台に関して、ベテラン灘クミンと若手クミンの間で
長らく論争がありました。
どうやら長老によると
「すべり台は今の場所(遊園地北)やなくて、ゾウ舎の北(遊園地南)
にあった」らしいのです。  
                           (つづく)

[写真]なだだなVol.8(灘区民まちづくり会議編)より


2007年11月19日(月曜日)

ビューティフルネーム

カテゴリー: - naddist @ 15時00分06秒

ついに10月21日に生まれたインドゾウのマック&ズゼ夫妻の息子名付け募集が始まりました。

さあ、灘クミンの皆さんの出番です。
いいですか?灘クミンの皆さん(ドン!←机をたたく音)
灘区のゾウは灘クミンが名付け親でなければならないのです(ドン!)
東灘クミンによって「諏訪子の孫だから…ホクラくん」とか
名付けられたらどうしようもないではありませんか!(ドン!)
長田クミンによって「諏訪子の孫だから…タカトリくん」とか
名付けられたら暴れますよ、わたしゃ。

芸をする在りし日の摩耶子
開園当初芸をする在りし日の摩耶子嬢(『諏訪子と歩んだ50年』神戸市立王子動物園発行より)

ゴダイゴも歌ったように名前は命です。
なので命名は魂を入れる作業でもあるのです。
例えば「摩耶」の字を使うのはどうでしょう?
日本最長寿のインドゾウ諏訪子とともに動物園開園当初のヒロインを
覚えている方もいらっしゃるかもしれません。
そう摩耶子嬢です。
摩耶は摩耶山の摩耶ですし、ナダ的にはぴったりです。
もしニューベイビーが女の子だったら文句なしに「二代目摩耶子」を
襲名させる署名活動を行ったでしょうが、今回生まれたのは男子。
「ほな摩耶夫でええやん」
と考えたそこのアナタ。
安易すぎます。
摩耶はもともとサンスクリット語で「マーヤ」。
お釈迦さんの母上の名前、つまり母性をあらわします。
なので男の子に摩耶の名前を冠するのはいかがなものかと。
例えば摩耶夫(仮)を見に来た子どもたちが
「おーい、まやお〜」なんて呼んだ時
若干内股気味で、流し目で長い鼻の先を小刻みに振りながら
「どんだけぇ〜」なんて振り返った時にゃ、目も当てられませんぜ。
いや、日本初のニューハーフインドゾウ「摩耶夫」、
案外いいかもしれませんが。

王子動物園は元々「原田の森」と呼ばれた場所。
原田といえば、おわかりですね?
…そう伸郎です。
ネコニャンニャンニャン、イヌワンワンワン…
違うって。もっと渋い人いるでしょ?
芳雄ですよ、原田の芳雄。
例えば芳雄(仮)を見に来た子どもたちが
「おーい、よしお〜」なんて呼んだ時
振り返って「リンゴと女はな、腐る直前が一番うまいんだ」
なんて…ヤなインドゾウ。

王子動物園だからシンプルに「王子郎」ってのはどうでしょ?
○○王子とか流行ってるから、もう名前に王子を入れちゃうっていう荒技です。
例えば王子郎(仮)を見に来た子どもたちが
「おーい、おーじろ〜」なんて呼んだ時
振り返って「バケラッタ〜」なんて鳴いたら
さすがの諏訪子も腰抜かすでしょうね。
だめか…。

ま、そんな感じで新しい灘の仲間の名前を考えるだけでも
なんかこうウキウキとしてきませんか?

てことで新企画
「インドゾウの名付け親になろう!」
ナダタマ内で名付けオーディションを行い、選考の上本選に応募するという案配です。
このエントリーにコメントをつける形でご応募ください。
できましたら命名理由も簡単にお書き添えいただければ幸いです。
なお、ご応募いただいた方の中から抽選でナダタマオリジナル王子動物園ステッカー
「ZOOステッカー」をプレゼントします。

ズゼの赤ちゃんがのっています

応募締め切りは11/25(日)、次週のZOOマニアで結果発表を行う予定です。
応募資格は灘クミンであること。
(灘クミン=灘区民ではありません。灘クミンの定義はこちら
奮ってコメントください。


2007年7月14日(土曜日)

さよなら王子動物園第一ゲート

カテゴリー: - naddist @ 12時30分25秒

王子動物園第一ゲートがまもなくなります。
じゃあ、どこから入るのって?
もちろん正門はあります。
第一ゲートはもう少し南にあります。
そう動物園をずっと南におりてください。
阪急の「灘アーチ橋」を越え、パンスト(灘駅前商店街・パンダストリート)を
抜けて…って、灘駅についちゃいましたね。
そう、実は灘駅に「王子動物園第一ゲート」はあるのです。

阪急王子公園駅とともに動物園の最寄り駅でもあるJR灘駅。
現在、灘駅舎の立て替え工事が進んでいます。
戦争、水害、そして震災までも乗り越えた駅舎が、
橋上化によって消えます。
そして、本日7月14日がその旧駅舎改札口の最終改札日です。
その改札口の左手に鉄の柵があったのを覚えていらっしゃいますでしょうか。
なにやら暗号のような文字が書かれている柵。
この柵、実は灘駅から王子動物園など王子公園周辺の集客施設に行く団体客
などをさばくためのゲートです。
これこそがJRでの来場者用の「王子動物園第一ゲート(灘駅口)」です。

なだ通常

このゲートには巧みの技が仕掛けられています。
ぱっと見、暗号に見えた文字があら不思議、ゲートの開閉とともに「なだ」
という文字がゲートに浮かび上がります。

なだ完成

最初これを知ったときは、うなりました。
今の時代、電光掲示板、LED、液晶プロジェクターで「なだ」の文字を浮かび
上がらせることはもちろん可能でしょうが、それじゃつまんない。
あるいは安易にパンダのイラストで飾り付けても、文化の香りがしない。
このローテクでストイックな仕掛けにこそ知恵があります。愛があります。
魂があります。
この匠のゲートを出てまっすぐ進むと王子動物園の正門にたどりつく、こういう案配です。

そして灘魂と来灘者へのあたたかいホスピタリティあふれる
このゲートは旧灘駅舎とともになくなります。

本日7/14(土)23:30ごろより「灘駅改札通り納め会(主催:ナダタマ)」を行います。
また灘駅へ来られない方のために、同時刻より翌1:00ごろまで灘駅舎改札最終日の模様を
ライブカメラでお届けします。
以下の動画プレーヤーおよびトップページ右の動画プレーヤーでお楽しみください。
いや、泣いてやってください。
(台風接近による悪天候の場合、ライブ不能になることもあります。
あらかじめご了承ください)

ブログパーツならStickam!

[参考]
[naddist 060923-212]劇的!灘駅の匠


2007年3月19日(月曜日)

原田にあった原田中学

カテゴリー: - naddist @ 10時30分25秒

前回の神戸博のネタでも紹介したが、現在王子動物園のある王子町は
元々原田の森といわれた、樹木が生い茂るうっそうとした森であった。
森の中には高林神社と原田神社という2つの社があった。
ということで、古くはこの王子動物園周辺が原田と呼ばれた地域であった。
今回は、この「原田」にまつわる秘話を綴ってみたい。
また動物園とはズレるが、これもまたこの地の歴史ということでご容赦。

灘区内には5つの公立中学校がある。
それぞれの中学校は通常その学校が存在する地名にちなんで名前がつけられる。
上野中学は上野にあり、烏帽子中学は烏帽子にあり、鷹匠中学は地名ではないが、
長峰中学は長峰にある。
問題は原田中学校である。
船寺通にある原田中は地名=校名の原則からすると、船寺中学、あるいは西灘中学、
旧字名でいけば味泥中学でなくてはならない。
前述のように、原田とは王子動物園周辺の地域である。
だいたい想像がつくかと思うが、原田中学は確かに原田にあった。
正確に言うと王子動物園の東、福住小学校の中に開校した。
しかし、開校後すぐに上野中学が分離、上野、原田地域の子供たちは
上野中学へ入学するようになった。
原田を追い出された原田中学は摩耶小学校へ移転。
ここで「摩耶中学校」に落ち着くのが筋であるが、原中はまた流転する。
西灘、稗田小学校の学童を受け入れるための学校として、現在地の
船寺通へ移転、しかし校名はそのまま「原田」を名乗った。
こうして「原田にない原田中学校」が誕生した。
花園町(現六甲町の一部)にあった花園中学が長峰に移転し、長峰中と
校名変更したのとは対照的である。
余談だが原田中学から分離した中学校は原田第二中学校(原二)とならずに
烏帽子中学になった。

昭和24年原田神社は移転し王子神社に名前を変え、
昭和26年、原田の森は「王子公園(王子動物園)」と名前を変えた。
だが、原田にない原田中学校は残った。
もし原田の地に原田中学がそのまま残っていたなら「王子中学」に
なっていた可能性もある。
王子動物園から遠くはなれた原田中学校の校区である岩屋北町に
王子動物園の臨時駐車場がある。
こんなところに誰が車を止めるというのだろう?
いや、それも原田の縁かもしれない。

王子動物園臨時駐車場


2007年3月12日(月曜日)

神戸博の痕跡(王子の野音)

カテゴリー: - naddist @ 11時00分36秒

ナダタマアニマル選定を少しお休みして、王子動物園ができる前の
王子公園に思いを馳せてみたい。

ポートピアが開かれる30年前、大阪万博の20年前の1950年、
ここ原田の森で大規模な博覧会が開催された。いわゆる「神戸博覧会」。
この跡地にできたのが王子動物園だということを知る灘クミンは
すっかり少なくなってしまったが、後世に語り継がなければならない
史実である。
そのあたりの詳細については私が語るよりも、ナダタマ建築系ブログ
「灘建築夜話」担当のdr.フランキー氏がそのうち滔々と語ってくれるに
違いないが、まずはプロローグということで。
神戸博

灘区で博覧会。
まずこの事実に驚かざるを得ない。
この神戸博はいわゆる万国博ではなく、貿易博覧会であった。
でも当時のパンフを見るとちゃんと外国館もある。
博覧会というと西の国や東の国からいろんな人が「こんにちは!」と
いいながらやってきて、お祭り広場で盆踊りなんかはじめちゃうのだが、
このお祭り広場にあたるのが「野外劇場」だった。
昭和52年まで動物園内に残っていたので覚えている方もいるかもしれない。
小学校の頃、勝手にステージの上に上がって「傷だらけのローラ」を熱唱したり、
神戸市消防局のブラスバンドの演奏が行われたりと、日比谷の野音を彷彿させる
灘区が誇る劇場であったが、現在ゴリラがいる放養式獣舎の建設に伴い取り壊された。
施設としては「杜の館(旧原田神社社務所、通称原田パビリオン)」とともに
神戸博覧会からの施設だっただけに残念だ。

野外劇場

しかし、園内をつぶさに観察するとまだ遺構を確認することができる。
王子動物園は神戸らしい、傾斜のある動物園。
北へ向かって坂道を上りつめると「北圜」の表示が目に入る。
少しレトロでなんとなくモダンなフォント。
ここが神戸博北園エリアだ。
ここからはさらに急なスロープであがるのだが、このスロープ
まわりは今でも神戸博当時の面影を色濃く残している。
この北圜は当時「海運ゾーン」で、東北館、九州館、帝国酸素館などの
パビリオンがあった。
今ではキリンが木の葉をほおばり、カンガルーがゴロゴロとねそべり、遠い目をしているダチョウがいる
王子動物園随一のアンニュイエリアだ。

50年前の神戸博の痕跡を見つけ、想像力を働かせ思いを馳せてみる。
こんな楽しみかたも王子動物園の通な味わいかたかもしれない。
北圜入り口


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