朝9時。動物園の開園と同時に、数人の人たちが門を入って行きます。
「おはようございます」「やっと涼しくなりましたね」と、互いにあいさつを交わしながら。
切符切りのお姉さんも、掃除のおばさんも、飼育員さんもすっかり顔なじみのようです。
Nさんは毎週火曜日にここへ来ます。門を入ってまっすぐ向かうのはインドゾウのところ。
15歳の青年ゾウ、マックが迎えてくれます。「おーい、おはようマック。元気かあ」Nさんはしばらく話をします。
「僕がしゃべること、ほぼ分かってくれてるみたい。お辞儀してくれることもあるんやで」とNさん。
でも、いたずら好きのマックは、油断していると、隠し持った砂を前足で撒くこともあるそうです。
マックがあっちへこっちへぐるぐる歩き回り、年上の彼女のズゼと柵越しにささやき合ったりするのを
木陰のベンチで眺めながら、Nさんは青谷ベーカリーのパンと園内で買ったコーヒーで朝食をとります。
ようやく秋の気配が混じり始めた風が、ときどき吹き抜けていきます。
「今年の夏は暑かったけど、ここは別世界やったよ。足元は土やし、大きな木がたくさんあるし。
木を見てると季節の変化もよく分かる。このあいだはカシの木にドングリがなってるのを見つけた」
ひと息つくと、バッグの中からスケッチブックを取り出します。
Nさんは動物たちを、なかでもゾウを描くために動物園に通っているのです。ちょうど1年になります。
入口で出会った常連さんも、それぞれスケッチブックやカメラを持ち、それぞれ「定位置」があるのだそうです。
実は、Nさんは全国にファンを持つ神戸発ブランドのデザイナー。元町の海岸ビルヂングに店を構えています。
昔やっていた絵の勉強をもう一度したいと考えていたころ、ひょんなことで動物園を訪れ、
表情豊かで、姿かたちも個性的な「モデル」たちにすっかり魅せられたといいます。
「最初に来た日は6時間かけて、いろんな動物を描いて回ってね。サイ、スローロリス、タンチョウヅル……。
めちゃくちゃ楽しかったんやけど、どうしてもうまく描かれへんというか、俺ってヘタやなあと思う動物があって」
それが、ゾウでした。
「ほら、鼻が長くて、耳が大きくて……ていうマンガっぽいのは描けるんやけどね。
いざ向き合ってみると、どこから描けばいいのか分からへんわけ。体が多角形で、面が大きいでしょ。
のっぺりした絵になるんよね。そういえばゾウの骨格とか、体の部位とか全然知らんかったなあって」
鼻に隠れた下あごの形、真ん中がくぼんだ頭蓋骨、耳の穴の位置、背中の曲線、足の爪の形。
マックやズゼや最長老の諏訪子さんを繰り返し繰り返し描いていくうち、
「生きもの」としてのゾウのかたちがNさんの中で結ばれていきました。
手元をアップにしてみましょう。これはマックです。
こっちは諏訪子さん。
園内の資料館に行けばゾウの骨格標本があり、心ゆくまで詳細に観察できます。
写真や文献も豊富でとても勉強になる、とNさん。
ゾウたちのことを知れば知るほど、彼らへの親愛の情も日に日に深まっていきます。
絵の練習だけでない、もっと大切なものを彼らにもらっていると、最近強く思うようになりました。
「この子たちって『素』やからね。どこにもウソがない。向き合ってると、ほんまに心が洗われるというか、
自分が恥ずかしくなることもあるよ。服の作り方もね、ちょっと変わったなって最近思う。
見た目のかっこ良さじゃなくて、着てる人がうれしくなるような、内面から笑みがこみ上げてくるような
そんな服を作りたいなあって」
この夏、Nさんが作ったTシャツにはズゼがデザインされていました。
「ほら、あの子の目はこんな感じやねん」と説明してくれる顔は実に楽しそうです。
右は、あるミュージシャンのためにデザインしたTシャツ。このモデルも王子動物園のマナヅルだそうです。
灘区王子町3丁目に住む動物たちが人気ブランドの服を支えているなんて、とても素敵だと思いませんか。
※Nさんのお仕事は「MANUAL LABOUR」でどうぞ。日記にゾウたちのことも書かれています。
MJプロフィール
神戸新聞記者を経て、フリーの記者/編集者。編集集団「140B」在籍。人物ルポやインタビュー、ニュース記事を手掛けつつ、街の雑誌やフリーペーパーも……というのが本職だが、もうひとつの人生の仕事は「歌うこと」。ソウル/R&B、ゴスペル、ブルースをこよなく愛するシンガー「MJ」として活動する。水道筋の[な也]でシリーズライヴを展開中。担当ナダログ:灘ノオト