[050117-198]灘南赤トンネル【灘の細道 17】
投稿者: Nada 掲載日: 2005-1-17 (4632 回閲覧)
...n a d d i s t
...050117-198
...
...naddism Edit.
■CONTENTS======================================================
・灘南赤トンネル
・なだっちゅーの!162
▼水道筋のカラオケ台北、閉店!?
▼初日の出ツアー2題
▼naddist本出版は?
・naddist NEWS(naddistからのお知らせ)
▼読者アンケートまだまだ受け付け中で〜す!
================================================================
まいどnaddistご購読いただきましてありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2005年第一発目はアンケートでも人気の高かった、灘のちょいといい
小道をレポートするシリーズ「灘の細道」をお送りいたします。
===================================================== 灘の細道17
■灘南赤トンネル
TEXT:naddist
「町境の長いトンネルをぬけると、そこは灘南通だった…」
灘区南西部、灘南通と灘北通を結ぶ通称「赤トンネル」は南北を大きく
分断するJR東灘貨物駅をパスするためにつくられたトンネル。
このトンネル、とにかく長い。
全長約100m。区内では最長の人道トンネルです。
そしてなによりもその「トンネルっぷり」の良さ。
特に灘南通側から見た姿形は、まさにトンネルの中のトンネル。
左右に石垣をたずさえ、ひっそり佇む玉子型のアーチ。
おごることなく、はしゃぐことなく、
「トン様」の風格さえただよいます。
このトンネルの歴史を知るには、横に控える少し焼け焦げたような、
錆びたような石垣をよじ登ってみていただきたい。
眼前に広がる遺跡のような風情に感嘆の声をあげるに違いありません。
まるでポンペイの遺跡のようなレンガ造の構造物が横たわっているでは
ありませんか。
地域の人たちが「赤トンネル」と呼ぶのは、このトンネルが総赤レンガ
造だからです。
建設されたのは東海道線が開通した明治37年ごろと言われています。
実は、このレンガ構造は震災後に人々の前に姿を現わしました。
それまで、土に埋まっていた構造物が100年近くの時を越えて地上に
現われたのです。かつてレンガ色だった内部は今ではペンキが塗られて
いますが、土の中に埋まっていたトンネル上部は鮮やかなレンガ色を
残しています。
もう一度入り口に戻りましょう。
あらためて、吸い込まれそうな感覚に襲わることと思います。
深い闇の先に、一点の光。
この「トンネルの先に見える一点の光」はトンネルをトンネルたらしめ
る魅力の一つですが、赤トンネルの光は実に美しい。
トンネルの長さと断面積の比率が絶妙なのです。
明るいばかりでは、人の心は熟成しません。
闇がある事によって光を感じる事ができる、太陽のありがたさを感じる
事ができる。
あるいはそのパースペクティブに自分の人生を重ね合わせる人がいるか
もしれません。明日への希望を感じる事ができる、なにかこうワクワク
する、ドキドキする。
これを業界では「トンネル効果」と呼びます。
今では蛍光灯がいくつか設置されていますが、昔は中間部分に裸電球が
1つしかなかったそうです。
昼でも暗いこのトンネルを人々は壁をつたって歩きました。
ちょうど腰あたりのレンガがいくぶんすり減っているのは、この跡です。
さて、光へ向かって歩いてみる事にしましょう。
ひんやりとしつつ、何故か懐かしい感覚に包まれます。
レンガ造独特の表面の凹凸による胎内感によるところが大きいのですが
もっと他に理由があります。
このトンネルを抜け、まっすぐ北上すると摩耶山があります。
摩耶はお釈迦さんのお母さんの名前からとった母なる山。
このトンネルは摩耶山へ続く参道、いや灘の母なる産道なのです。
そしてこの灘の母なる産道は、灘区民の命を守ってきました。
今をさかのぼること60年前。神戸大空襲。
B29のじゅうたん爆撃。
「赤トンネルや!赤トンネルに逃げろっ!」
燃え広がる火の手をかいくぐり、人々は赤トンネルを目指しました。
その数、数百人。
いくら長いトンネルでも収容人員には限りがあります。
「もっと中へ!」
トンネルの両端には火の手が迫り、
トンネルから見る街の景色はまるで地獄絵だったといいます。
それでもレンガアーチは爆弾に耐え、シェルターとして区民の命を守り
ました。
そして40年の時が過ぎた1995年1月17日5時46分、早朝散歩に出かけ
た私の叔母はこのトンネルで震災にあいました。
激しく揺れるトンネル内で叔母は一命を取り留めましたが、揺れが収ま
りトンネルを抜けると、住み慣れた家も、慣れ親しんだ街並も漆黒の闇
の底に沈んでいました。
一体何人の人がこのトンネルを通り過ぎたのでしょう?
たくさんの苦難を乗り越え、赤トンネルは今日も凛とした佇まいを見せ
ています。
そして、からっぽに見えるトンネルにはたくさんの街の記憶が詰まって
いるはずです。
(おわり)
【灘南赤トンネル】
灘南通5丁目〜灘北通5丁目
阪神西灘駅より北へ徒歩6分
JR灘駅より東へ徒歩10分
================================================================
naddistに頂いた、皆さんからのご意見ご感想や灘情報をご紹介する
「なだっちゅーの!」を、お送りいたします。
メールを下さった皆様、ありがとうございました。
→投稿はpostmaster@naddist.jpまで
=============================================なだっちゅーの!162
●たん吉様(戻りクミン)
ただいまお昼休みで某掲示板をのぞいていたら、
「水道筋の台北、閉店するんだって!」という見出しが飛び込んで
きました。
本当ですかっっっっ!!!
ショ〜〜〜〜〜ック!!!
あの「レタスチャーハン」はもう食べられないの?????
このネタ、ある読者さんからのタレ込みにより発覚し、年始早々
の大ニュースとなりました。
正確にいいますと、オーナーが変わります。
なので、あの形態がこのまま続くかどうかはわかりません。
でも「レタス炒飯と掘りごたつと真理アンヌとゴールデンハーフ
の写真と立ち位置指定ステッカーは残して欲しい」ということは
直訴しておきました。
--------------------------------------------------------nad
●ぶち様(東隣山手クミン)
「摩耶山初日の出ツアー」参加させて頂きました。
夜明け前のヒガシナダ渦が森は積雪1センチで、「ヤバイか!?」と
思いながら家を出たのですが、摩耶山頂の積雪15センチには吃驚しま
した。しかも握っても固まらないパウダースノー!
神戸でここまでの雪は15年振りぐらいではないでしょうか?
摩耶山天上寺での「観音様講話」もためになりました
(観音様にも種類があったんですね(驚))。
●ドクターフランキー様(北隣クミン)
naddist日の出ツアーリポート
逆転さよなら赤組勝利の紅白歌合戦と、いく年くる年を見届けて零時30
分に床に就き、4時半過ぎには起きだした私。とりあえずの燃料補給で
りんごとバナナを腹に収めて、身支度を済ませて扉を開けると、鶴甲
団地と山を挟んで対角線上の同じ標高にある我が家の周辺はうっすらと
雪化粧。公共交通機関を使って約束の6時までに高尾駅まで行くには時間
的にぎりぎりだったが、「帰りに水平線号を捨てて戻るのも適わんなあ」
と、私は潔く初ナダドラをあきらめた。
朝6時少し過ぎに摩耶ケーブル高尾駅にタクシーで駆け込む。
全員そろったところでいざ山頂へ出発。
ロープウェイ乗り継ぎの虹の駅では、やや雪の化粧が濃くなり、駅のコン
コースでチビ雪だるまが出迎えてくれた。
少し待って通されたロープウェイのゴンドラには「床が凍って滑ります」
との張り紙。誰か、前夜からゴンドラの喚気窓を開けたままにしていた
らしい(おいおい)。
ガスが濃く、様子が伺えない山頂の状況が、それとなく伝わってくる。
下界には1000万ドルの夜景が見えていたが、やがて濃いガスに突っ切む。
暗いが周囲の高木は「樹氷状態」。
山頂はかなりの降り方らしい。
ゴンドラを降ると、そこは雪国だった。
コンコースで振舞い酒を頂き、意を決して駅舎の外へ、一瞬、靴がべと
べとになるなあ、とたじろいだが、雪の状態はサイコーだった。
あたりはサンモリッツもかくやという銀世界。
こんな掬星台は初体験だ
(不思議と普段の年よりも寒いという感覚はなかった)。
展望台で、記念写真を撮るも、濃いガスは切れそうにない。
こうなれば7時6分のご来光はさっさとあきらめて、関心はオテルド摩耶
の温かい「ワインアンドチョコレート」へ自然と移ってしまう。
サラサラのパウダースノーの感触を楽しみつつ
「サーフ天国、スキー天国」を口ずさみながら(!?)、私たちは
オテルド摩耶を目指して「雪中行軍」。
普段は路線バスしか入らない山頂への誘導路も「雪と氷のモンテカルロ
ラリーのスペシャルステージ」に早変わりしていた。
案の定、無鉄砲なスズキアルト・ターボが雪煙を立てて果敢にアタック
してきたが、夏タイヤだったのか、私たちの目の前であえなく路肩の雪
に突っ込んでスタックした。
ロッジに着くと、玄関は閉まっていた。
すぐ脇の事務室の窓のサンシェードの隙間から、ホテルマンのお兄さん
に目で会釈。すると定刻より10分早く玄関を開け、すっかり冷え切った
naddist ツアー一行をロッジに導きいれてくれた。
ホットワインとホットチョコレートで元気を取り戻した私たちは、摩耶
ロッジに感謝しつつ、オテラド摩耶じゃなくって天上寺に向かった。
裏の参道からアプローチすると、一瞬「う〜ん絵になるやん」という雪
の天上寺の図が眼前に広がった。
このまま、「ゆく年くる年」に登場させたい気分になってしまうほどだ。
約20年ぶりという雪の正月に、本堂の大階段や通路の雪かきにお寺の皆
さんは大わらわ。と、箒の手を休めて、副住職さんがわれわれを本堂に
招きいれて、祀られている7つの観音様のいわれなど、普段は聞けない
興味深い解説をしてくださった。
で、そろそろ下山しようかという8時半、掬星台でしっかりと薄くなった
雲の向こう側からご来光を拝むことに成功。
ツアーは成功裏に終了した。
ことしこそナダにいいことがありますように。
1月1日に開催しました「naddist初日の出ツアー」にご参加いた
だいたかたからメールをいただきました。
ありがとうございました。
いや〜、ある意味当たりでしたよね!今回のツアー。
白銀の摩耶で飲むホットワイン(無料)最高でした!
(いや、もちろん天上寺での法話も…)
今年は灘区にとってもいい年でありますように。
--------------------------------------------------------nad
●マグレブの元クミン様
4月で帰国しますが、どこに住むかまだ決めていません。
灘にはまた帰りたい気持ちはやまやまなんですが、
放浪癖があるもんで違う町にも・・・なんて色気もあります。
いづれにしても、活気のある町、風情のある町にすみたいですね。
これからも貴紙を通じて灘を見守り続けますので
200回でやめるなんて言わないでがんばってください。
余談ですが以前よりも文章がすごくうまく楽しくなったように感じます。
出版化する予定はないですか?
あの「恐るべきさぬきうどん」にも負けない楽しい本になると思うので
すが。
遠くチュニジアからメールをいただきました。
ありがとうございます。是非灘にお戻りください。
・・・すいません。この前の号で
「とりあえず200号までは発行しますが、その後のことはちょっ
と考えさせてください。」
なんて書いたばっかりに、多くの皆さんから「やめないでメール」
をいただきました。
言葉足らずでした。メルマガ主体の体裁を続けるのはちょっと考え
させてください、という意味です。
なんらかの形では継続するつもりです(ブログとか)
あと200号の区切りとしてこれまでのnaddistをまとめた本を
今年出版する予定です。
(神戸カタログでも紹介されてしまいましたが…)
なんと1〜100号をVol.1 101〜200号をVol.2にまとめ
るという「一挙2冊出版」という暴挙に出ます。
全部で500ページ近くなってしまいそうです。
本のタイトルは『灘区男』です。(笑)
--------------------------------------------------------nad
================================================================
● naddist NEWS ●
================================================================
● 読者アンケートまだまだ受け付け中で〜す! ●
昨年末にお送りいたしました、年末アンケートにご協力いただきました
皆様、ありがとうございます。
アンケートはまだまだ受け付けております。どしどしお寄せください。
お待ちしております。
※アンケートフォーマットは[naddist 041231-197]をご参照ください。
→postmaster@naddist.jpまで
----------------------------------------------------------------
10年目の1月17日
naddistは今から7年前、フリーペーパー「naddism」の発展型として
創刊されました。
10年前の震災。自分の生まれ育った街が一瞬にして崩壊するのを目の
当たりにして、私はとんでもなく深い喪失感に包まれました。
その失われた何かを探すため、震災後の街を歩き街ネタを落ち穂拾い
のように集め、印刷物にしたのがフリーペーパー「naddism」でした。
やがて私が拾い集めたモノが、より多くの人と共有できることがわかり
「記憶にパイルドライバー、視点に延髄切り」のコンセプトでメルマガ
としてリニューアルしたのが当メルマガ「naddist」です。
メルマガnaddistの読者さんは、もちろん現クミン(現在灘区在住)の
方が多いのですが、発刊にあたって「灘にメルマガで会える!」と、
たくさんの声援をいただいたのは元クミンの皆さんでした。
震災後急速に変わった灘の街。区画整理や再開発、その他いろんな理由
で愛する灘を去らなければならなかった皆さんです。
灘の街は今そこにいる人間だけの街ではない…
途中「ノスタルジックに偏り過ぎ」「灘初心者には分りにくい」などの
ご批判をいただきましたが、生れ住んだ街をを去らざるを得なかった
方々の思いには応えたいと思います。
それが震災後、街に残ったものの責務だと思います。
震災から10年。
naddistの源はこれからもこの日です。
合 掌
----------------------------------------------------------------
naddist発行の「赤トンネルに住むアオダイショウ」は皆様からのメール
です。
お気軽に「町話」「感想」お寄せ下さい。
naddistへ、ご意見ご感想、情報メールをお送り頂く時は、
・「なだっちゅーの」(読者お便りコーナー)への転載の可否
・転載の条件(匿名希望、ハンドル名等、URL載せる事も可能です)
・現在住んでいる所(もしよろしければ)
・灘区との関わり(適当につけて下さい)
(例)元クミン:元灘区在住
現クミン:現灘区在住
(クミン=区民ではないので、他地区の方大歓迎)
等を明記して頂ければ幸いです。
----------------------------------------------------------------
「カラオケ台北」の前身「台北飯店」のカエルの唐揚げはうまかった。
----------------------------------------------------------------
ご意見ご感想は eken@pp.iij4u.or.jp までお願いします。
----------------------------------------------------------------
naddist [Kapsel naddism] 0000009510
produced by "naddism Edit."(@parabolart)
e-mail "eken@pp.iij4u.or.jp"
----------------------------------------------------------------
powered by "magmag" www.mag2.com
...050117-198
...
...naddism Edit.
■CONTENTS======================================================
・灘南赤トンネル
・なだっちゅーの!162
▼水道筋のカラオケ台北、閉店!?
▼初日の出ツアー2題
▼naddist本出版は?
・naddist NEWS(naddistからのお知らせ)
▼読者アンケートまだまだ受け付け中で〜す!
================================================================
まいどnaddistご購読いただきましてありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
2005年第一発目はアンケートでも人気の高かった、灘のちょいといい
小道をレポートするシリーズ「灘の細道」をお送りいたします。
===================================================== 灘の細道17
■灘南赤トンネル
TEXT:naddist
「町境の長いトンネルをぬけると、そこは灘南通だった…」
灘区南西部、灘南通と灘北通を結ぶ通称「赤トンネル」は南北を大きく
分断するJR東灘貨物駅をパスするためにつくられたトンネル。
このトンネル、とにかく長い。
全長約100m。区内では最長の人道トンネルです。
そしてなによりもその「トンネルっぷり」の良さ。
特に灘南通側から見た姿形は、まさにトンネルの中のトンネル。
左右に石垣をたずさえ、ひっそり佇む玉子型のアーチ。
おごることなく、はしゃぐことなく、
「トン様」の風格さえただよいます。
このトンネルの歴史を知るには、横に控える少し焼け焦げたような、
錆びたような石垣をよじ登ってみていただきたい。
眼前に広がる遺跡のような風情に感嘆の声をあげるに違いありません。
まるでポンペイの遺跡のようなレンガ造の構造物が横たわっているでは
ありませんか。
地域の人たちが「赤トンネル」と呼ぶのは、このトンネルが総赤レンガ
造だからです。
建設されたのは東海道線が開通した明治37年ごろと言われています。
実は、このレンガ構造は震災後に人々の前に姿を現わしました。
それまで、土に埋まっていた構造物が100年近くの時を越えて地上に
現われたのです。かつてレンガ色だった内部は今ではペンキが塗られて
いますが、土の中に埋まっていたトンネル上部は鮮やかなレンガ色を
残しています。
もう一度入り口に戻りましょう。
あらためて、吸い込まれそうな感覚に襲わることと思います。
深い闇の先に、一点の光。
この「トンネルの先に見える一点の光」はトンネルをトンネルたらしめ
る魅力の一つですが、赤トンネルの光は実に美しい。
トンネルの長さと断面積の比率が絶妙なのです。
明るいばかりでは、人の心は熟成しません。
闇がある事によって光を感じる事ができる、太陽のありがたさを感じる
事ができる。
あるいはそのパースペクティブに自分の人生を重ね合わせる人がいるか
もしれません。明日への希望を感じる事ができる、なにかこうワクワク
する、ドキドキする。
これを業界では「トンネル効果」と呼びます。
今では蛍光灯がいくつか設置されていますが、昔は中間部分に裸電球が
1つしかなかったそうです。
昼でも暗いこのトンネルを人々は壁をつたって歩きました。
ちょうど腰あたりのレンガがいくぶんすり減っているのは、この跡です。
さて、光へ向かって歩いてみる事にしましょう。
ひんやりとしつつ、何故か懐かしい感覚に包まれます。
レンガ造独特の表面の凹凸による胎内感によるところが大きいのですが
もっと他に理由があります。
このトンネルを抜け、まっすぐ北上すると摩耶山があります。
摩耶はお釈迦さんのお母さんの名前からとった母なる山。
このトンネルは摩耶山へ続く参道、いや灘の母なる産道なのです。
そしてこの灘の母なる産道は、灘区民の命を守ってきました。
今をさかのぼること60年前。神戸大空襲。
B29のじゅうたん爆撃。
「赤トンネルや!赤トンネルに逃げろっ!」
燃え広がる火の手をかいくぐり、人々は赤トンネルを目指しました。
その数、数百人。
いくら長いトンネルでも収容人員には限りがあります。
「もっと中へ!」
トンネルの両端には火の手が迫り、
トンネルから見る街の景色はまるで地獄絵だったといいます。
それでもレンガアーチは爆弾に耐え、シェルターとして区民の命を守り
ました。
そして40年の時が過ぎた1995年1月17日5時46分、早朝散歩に出かけ
た私の叔母はこのトンネルで震災にあいました。
激しく揺れるトンネル内で叔母は一命を取り留めましたが、揺れが収ま
りトンネルを抜けると、住み慣れた家も、慣れ親しんだ街並も漆黒の闇
の底に沈んでいました。
一体何人の人がこのトンネルを通り過ぎたのでしょう?
たくさんの苦難を乗り越え、赤トンネルは今日も凛とした佇まいを見せ
ています。
そして、からっぽに見えるトンネルにはたくさんの街の記憶が詰まって
いるはずです。
(おわり)
【灘南赤トンネル】
灘南通5丁目〜灘北通5丁目
阪神西灘駅より北へ徒歩6分
JR灘駅より東へ徒歩10分
================================================================
naddistに頂いた、皆さんからのご意見ご感想や灘情報をご紹介する
「なだっちゅーの!」を、お送りいたします。
メールを下さった皆様、ありがとうございました。
→投稿はpostmaster@naddist.jpまで
=============================================なだっちゅーの!162
●たん吉様(戻りクミン)
ただいまお昼休みで某掲示板をのぞいていたら、
「水道筋の台北、閉店するんだって!」という見出しが飛び込んで
きました。
本当ですかっっっっ!!!
ショ〜〜〜〜〜ック!!!
あの「レタスチャーハン」はもう食べられないの?????
このネタ、ある読者さんからのタレ込みにより発覚し、年始早々
の大ニュースとなりました。
正確にいいますと、オーナーが変わります。
なので、あの形態がこのまま続くかどうかはわかりません。
でも「レタス炒飯と掘りごたつと真理アンヌとゴールデンハーフ
の写真と立ち位置指定ステッカーは残して欲しい」ということは
直訴しておきました。
--------------------------------------------------------nad
●ぶち様(東隣山手クミン)
「摩耶山初日の出ツアー」参加させて頂きました。
夜明け前のヒガシナダ渦が森は積雪1センチで、「ヤバイか!?」と
思いながら家を出たのですが、摩耶山頂の積雪15センチには吃驚しま
した。しかも握っても固まらないパウダースノー!
神戸でここまでの雪は15年振りぐらいではないでしょうか?
摩耶山天上寺での「観音様講話」もためになりました
(観音様にも種類があったんですね(驚))。
●ドクターフランキー様(北隣クミン)
naddist日の出ツアーリポート
逆転さよなら赤組勝利の紅白歌合戦と、いく年くる年を見届けて零時30
分に床に就き、4時半過ぎには起きだした私。とりあえずの燃料補給で
りんごとバナナを腹に収めて、身支度を済ませて扉を開けると、鶴甲
団地と山を挟んで対角線上の同じ標高にある我が家の周辺はうっすらと
雪化粧。公共交通機関を使って約束の6時までに高尾駅まで行くには時間
的にぎりぎりだったが、「帰りに水平線号を捨てて戻るのも適わんなあ」
と、私は潔く初ナダドラをあきらめた。
朝6時少し過ぎに摩耶ケーブル高尾駅にタクシーで駆け込む。
全員そろったところでいざ山頂へ出発。
ロープウェイ乗り継ぎの虹の駅では、やや雪の化粧が濃くなり、駅のコン
コースでチビ雪だるまが出迎えてくれた。
少し待って通されたロープウェイのゴンドラには「床が凍って滑ります」
との張り紙。誰か、前夜からゴンドラの喚気窓を開けたままにしていた
らしい(おいおい)。
ガスが濃く、様子が伺えない山頂の状況が、それとなく伝わってくる。
下界には1000万ドルの夜景が見えていたが、やがて濃いガスに突っ切む。
暗いが周囲の高木は「樹氷状態」。
山頂はかなりの降り方らしい。
ゴンドラを降ると、そこは雪国だった。
コンコースで振舞い酒を頂き、意を決して駅舎の外へ、一瞬、靴がべと
べとになるなあ、とたじろいだが、雪の状態はサイコーだった。
あたりはサンモリッツもかくやという銀世界。
こんな掬星台は初体験だ
(不思議と普段の年よりも寒いという感覚はなかった)。
展望台で、記念写真を撮るも、濃いガスは切れそうにない。
こうなれば7時6分のご来光はさっさとあきらめて、関心はオテルド摩耶
の温かい「ワインアンドチョコレート」へ自然と移ってしまう。
サラサラのパウダースノーの感触を楽しみつつ
「サーフ天国、スキー天国」を口ずさみながら(!?)、私たちは
オテルド摩耶を目指して「雪中行軍」。
普段は路線バスしか入らない山頂への誘導路も「雪と氷のモンテカルロ
ラリーのスペシャルステージ」に早変わりしていた。
案の定、無鉄砲なスズキアルト・ターボが雪煙を立てて果敢にアタック
してきたが、夏タイヤだったのか、私たちの目の前であえなく路肩の雪
に突っ込んでスタックした。
ロッジに着くと、玄関は閉まっていた。
すぐ脇の事務室の窓のサンシェードの隙間から、ホテルマンのお兄さん
に目で会釈。すると定刻より10分早く玄関を開け、すっかり冷え切った
naddist ツアー一行をロッジに導きいれてくれた。
ホットワインとホットチョコレートで元気を取り戻した私たちは、摩耶
ロッジに感謝しつつ、オテラド摩耶じゃなくって天上寺に向かった。
裏の参道からアプローチすると、一瞬「う〜ん絵になるやん」という雪
の天上寺の図が眼前に広がった。
このまま、「ゆく年くる年」に登場させたい気分になってしまうほどだ。
約20年ぶりという雪の正月に、本堂の大階段や通路の雪かきにお寺の皆
さんは大わらわ。と、箒の手を休めて、副住職さんがわれわれを本堂に
招きいれて、祀られている7つの観音様のいわれなど、普段は聞けない
興味深い解説をしてくださった。
で、そろそろ下山しようかという8時半、掬星台でしっかりと薄くなった
雲の向こう側からご来光を拝むことに成功。
ツアーは成功裏に終了した。
ことしこそナダにいいことがありますように。
1月1日に開催しました「naddist初日の出ツアー」にご参加いた
だいたかたからメールをいただきました。
ありがとうございました。
いや〜、ある意味当たりでしたよね!今回のツアー。
白銀の摩耶で飲むホットワイン(無料)最高でした!
(いや、もちろん天上寺での法話も…)
今年は灘区にとってもいい年でありますように。
--------------------------------------------------------nad
●マグレブの元クミン様
4月で帰国しますが、どこに住むかまだ決めていません。
灘にはまた帰りたい気持ちはやまやまなんですが、
放浪癖があるもんで違う町にも・・・なんて色気もあります。
いづれにしても、活気のある町、風情のある町にすみたいですね。
これからも貴紙を通じて灘を見守り続けますので
200回でやめるなんて言わないでがんばってください。
余談ですが以前よりも文章がすごくうまく楽しくなったように感じます。
出版化する予定はないですか?
あの「恐るべきさぬきうどん」にも負けない楽しい本になると思うので
すが。
遠くチュニジアからメールをいただきました。
ありがとうございます。是非灘にお戻りください。
・・・すいません。この前の号で
「とりあえず200号までは発行しますが、その後のことはちょっ
と考えさせてください。」
なんて書いたばっかりに、多くの皆さんから「やめないでメール」
をいただきました。
言葉足らずでした。メルマガ主体の体裁を続けるのはちょっと考え
させてください、という意味です。
なんらかの形では継続するつもりです(ブログとか)
あと200号の区切りとしてこれまでのnaddistをまとめた本を
今年出版する予定です。
(神戸カタログでも紹介されてしまいましたが…)
なんと1〜100号をVol.1 101〜200号をVol.2にまとめ
るという「一挙2冊出版」という暴挙に出ます。
全部で500ページ近くなってしまいそうです。
本のタイトルは『灘区男』です。(笑)
--------------------------------------------------------nad
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● naddist NEWS ●
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● 読者アンケートまだまだ受け付け中で〜す! ●
昨年末にお送りいたしました、年末アンケートにご協力いただきました
皆様、ありがとうございます。
アンケートはまだまだ受け付けております。どしどしお寄せください。
お待ちしております。
※アンケートフォーマットは[naddist 041231-197]をご参照ください。
→postmaster@naddist.jpまで
----------------------------------------------------------------
10年目の1月17日
naddistは今から7年前、フリーペーパー「naddism」の発展型として
創刊されました。
10年前の震災。自分の生まれ育った街が一瞬にして崩壊するのを目の
当たりにして、私はとんでもなく深い喪失感に包まれました。
その失われた何かを探すため、震災後の街を歩き街ネタを落ち穂拾い
のように集め、印刷物にしたのがフリーペーパー「naddism」でした。
やがて私が拾い集めたモノが、より多くの人と共有できることがわかり
「記憶にパイルドライバー、視点に延髄切り」のコンセプトでメルマガ
としてリニューアルしたのが当メルマガ「naddist」です。
メルマガnaddistの読者さんは、もちろん現クミン(現在灘区在住)の
方が多いのですが、発刊にあたって「灘にメルマガで会える!」と、
たくさんの声援をいただいたのは元クミンの皆さんでした。
震災後急速に変わった灘の街。区画整理や再開発、その他いろんな理由
で愛する灘を去らなければならなかった皆さんです。
灘の街は今そこにいる人間だけの街ではない…
途中「ノスタルジックに偏り過ぎ」「灘初心者には分りにくい」などの
ご批判をいただきましたが、生れ住んだ街をを去らざるを得なかった
方々の思いには応えたいと思います。
それが震災後、街に残ったものの責務だと思います。
震災から10年。
naddistの源はこれからもこの日です。
合 掌
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naddist発行の「赤トンネルに住むアオダイショウ」は皆様からのメール
です。
お気軽に「町話」「感想」お寄せ下さい。
naddistへ、ご意見ご感想、情報メールをお送り頂く時は、
・「なだっちゅーの」(読者お便りコーナー)への転載の可否
・転載の条件(匿名希望、ハンドル名等、URL載せる事も可能です)
・現在住んでいる所(もしよろしければ)
・灘区との関わり(適当につけて下さい)
(例)元クミン:元灘区在住
現クミン:現灘区在住
(クミン=区民ではないので、他地区の方大歓迎)
等を明記して頂ければ幸いです。
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「カラオケ台北」の前身「台北飯店」のカエルの唐揚げはうまかった。
----------------------------------------------------------------
ご意見ご感想は eken@pp.iij4u.or.jp までお願いします。
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naddist [Kapsel naddism] 0000009510
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