[020410-121]ポストモダニズム【愛ナディ02】
投稿者: Naddist 掲載日: 2002-4-10 (3614 回閲覧)
...n a d d i s t
...02041-121
...
...naddism Edit.
■CONTENTS==================================================
・愛と幻想のナディズム02
▼ポストモダニズム(または阪急六甲と鯖の味噌煮)
・なだっちゅーの!97
▼元外大クミン
▼「ことぶき書房」閉店
・naddist NEWS(naddistからのお知らせ)
▼「栄珍」閉店
============================================================
新年度早々の宝塚ファミリーランド閉園ショックにうちひしがれる
今日この頃皆様いかがおすごしでしょうか。
今回は帰ってきた灘文学、 元・学遊飲住愛憎喜怒哀楽クミンの
DECOさん作「愛と幻想のナディズム」をお送りいたします。
今回もたくさんのキーワードがちりばめられています。
深読み、浅読み、各自のスタンスでお楽しみください。
====================================愛と幻想のナディズム02
SCENE2●ポストモダニズム(または阪急六甲と鯖の味噌煮)
TEXT:DECO
元・学遊飲住愛憎喜怒哀楽クミン
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
前回言い忘れたが、この一連の物語の50%はフィクションであり、
残りの50%は著者による幻想または妄想である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
そのとき僕は、阪急六甲近くにあるビルの6階のバーで、ラフロ
イグのオン・ザ・ロックを飲んでいた。隣には、艶やかな髪と聡明
そうな額を持った美しい女がいた。残念なのは、彼女が僕の連れで
はないことだった。窓越しには、1000万ドルと称揚される夜景が広
がっていた。激しい雨で霞んだ夜景は、800万ドルくらいに見えた。
僕は煙草に火を点けると、スーツの内ポケットから、つい先ほど
「アンカーレット」の前で拾ったばかりのポストモダニズムを取り
出した。舗道に打ち捨てられていたそのポストモダニズムは、雨に
濡れてずいぶんくたびれていたが、そのくたびれかたはある種の人
々を惹きつける、何かがあった。それはいったい何なのか? 目下
の僕の課題は、その問いかけの中にあった。
*
僕の家には3つのポストモダニズムがあった。1つは六甲道の「喫
茶ヒュッテ」の前で見つけ、もう1つは「南天荘書店」のブックカ
バーに貼り付いていた。3つめは、当時、深田町に住んでいたガール
フレンドがプレゼントしてくれたものだ。大きさも色もまちまちで、
共通点と言えば、唯一それが「ポストモダニズムである」というこ
とだけだった。
驚くべきことに、「灘図書館」にはポストモダニズムに関する文
献がいくつかあった。中でも神戸商工会議所東神戸支部が編纂した
『われらがポストモダニズム』は秀逸だ。そこでは、実に数百種に
もおよぶポストモダニズムのサンプルが紹介されている。それによ
ると、僕が所有しているポストモダニズムはすべて1980年代中頃の
もので、「資料的価値は薄弱だが、そのポップな感覚と意外性は今
なお魅力的な輝きを放っている」。
文学の分野においても興味深い書物がある。特に『さらば愛しき
ポストモダニズム』は、「ポストモダニズムとは鯖の味噌煮である」
というエキセントリックな一文で始まることで話題をよんだ。その
著者アンソニー・ハーヴェイ氏は昨年来日し、六甲道勤労市民セン
ターで「ポストモダニズムは炊き込みご飯ではない」という講演を
行っている。
*
僕は、すでに所有しているポストモダニズムと、さっき拾ったば
かりのポストモダニズムを頭の中で比べてみた。やはり共通点は思
い浮かばなかった。それらがポストモダニズムであるという一点を
除いて。
「それ、ちょっと見せて下さらない?」
僕は我に返り、その美しい声のする方に顔を向けた。艶やかな髪
と聡明そうな額を持った女性が、カラになったワイングラスを片手
にこちらを見ていた。僕は黙ってポストモダニズムを差し出した。
彼女はそれをいろんな角度から眺めたり、爪の先でコツコツと叩
いてみたりしていた。やがて、おもむろにハンドバッグを開けると、
中から何かを取り出した。
そして、「ねえ、もしよかったらなんだけど、これと交換しても
らえないかしら?」と言った。それは見事なモダニズムだった。
僕はとっさに「もちろん」と答えた。そんなにすごいモダニズム
はこれまでに見たことがなかった。
「でも、いいのかい?」僕は少し不安になって訊ねた。
「いいんです。わたしポストモダニズムをひとつも持っていなくて」
「なるほど。やはりひとつくらいは持っておきたいものね」
僕は同意した。
「ありがとう」彼女はそう言って、大事そうにポストモダニズムを
ハンカチにくるんでバッグにしまった。そして、「おやすみなさい」
と言うと、阪急六甲以北的微笑みを残して、優雅に店を出ていった。
あのポストモダニズムが僕を惹きつけた理由を、僕はそのときよ
うやく理解した。
問題は―――、僕が彼女の名前を訊き忘れたことにあった。僕はチ
ェックを済ますと、あわてて1階に降り、彼女の姿を探した。六甲
山の方にも、八幡神社の方にも、(有)せかい書房の方にも、彼女
は見当たらなかった。
僕はあきらめて、彼女にもらったモダニズムを見つめた。でもそ
れは、もはやさっきのモダニズムではなかった。もちろんポストモ
ダニズムでも鯖の味噌煮でもなかった。強いて言えば、それは彼女
が手にしていたカラのワイングラスによく似ていた。
雨足はさらに強まり、夜景は780万ドルくらいにまで下落していた。
(つづく)
------------------------------------------------------------
DECOさん、ありがとうございました。
またまた何の事やらわからない…いや読者の想像を喚起するストー
リーでした。
大阪万博(1970)で衝撃的なモダニズムの洗礼を受けた私にとって
のモダニズムは四角や丸の「なんか明るくてカッコイイデザイン」
でした。
六甲山にある「十国展望台」を見て「灘のパビリオンや!」と思っ
てしまう素直な灘っ子でした。
ついでにいうと、篠原北町の安藤忠雄設計のモダンな「六甲アパー
トメンツ」も王子動物園の「カバ舎」もいっしょなのです。
同じく安藤氏の設計による「OLD NEW」ができた時も「カバ舎で酒
のむんけ」と思ったくらいです。
そういや新在家に安藤氏設計の風呂(クアハウス)ができましたね。
「なんや、イルカ池かいな」と思ったりして。
灘のポストモダニズム。
高尾通の「○○物チンレツ罪系マンション」西灘の「パパとママの
店のファサード」や大石の「聖母地蔵尊瓦せんべい」とかはどうで
すか?
ポストモダン…かどうかわかりませんが、
灘浜にあった出光の石油タンク。
その姿は一見モダニズムなパビリオン風なのです。が、ポイントは
壁面に入れられたアフリカ呪術系日石コウモリマーク。あれは大阪
万博で見た「太陽の塔」に通じる物がありました。
ポップと言えばポップなのですが、
「こわい…」
そうとても怖いものなのでした。特に夜、「篠崎倉庫」の獣皮の香
りが加わると…おっとこれから先は灘ネタ「灘浜夜の湾岸ミンパク」
にてお送りいたします。
※モダニズム・ポストモダニスムに関してはこちらのサイトをご参
照ください。
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/artwords/k_t/post_modernism.html
(Art words-現代美術キーワード)
「阪急六甲以北的微笑み」いいですね。
「国鉄以南的爆笑」に慣れ親しんでいた私にとっては、グッときま
した。
次のイベントは「阪急六甲以北的微笑みコンテスト」かも。
微笑みクイーン及び審査員募集中。
============================================================
naddistに頂いた、皆さんからのご意見ご感想や灘情報を
ご紹介する「なだっちゅーの!」を、お送りいたします。
メールを下さった皆様、ありがとうございました。
==========================================なだっちゅーの!97
●まもの様(元クミン)
友人に教えてもらって以来、Naddistをずっと楽しみに読ませていた
だいてます。
まだ六甲病院の上にあった頃の神戸外大に通ってまして、学生時代
は御影公会堂のすぐ上にあったアパートに住んでました。
アメリカに移住してもう15年が経ち、なかなか日本へゆっくり行く
機会がないのですが、外大時代の友人で灘にそのまま住んでいる人
も少なくなく、出来るだけ時間を作って灘近辺に行くようにしてい
ます。
結婚した時に戸籍を元外大の住所にしたので、住民票はありません
が戸籍上は灘区民です。
学生時代に通ったいろんなお店やお風呂屋さんの名前が出るたびに、
いろんな思い出がよみがえってきて、こちらに永住を決めた今でも
ホームシックな気分になります。
これからも楽しみにしています。
海外からメールいただきました。
神戸外大は藤原紀香の親和学園になってしまいました。
御影公会堂も正面だけ残して改装とか。
寂しいなんていったら
「そんなこと言うたら石屋川車庫は牧場やってんで」
などとのたまう灘なオッサンに怒られてしまいます。
でもそれは、ずーっと灘に住んでいるから言えることであって
灘を離れた方々にとってはいつまでも「あの時」の灘のまちが
冷凍保存されていると思います。これからも心の中の灘、大事
にしてください。
で、時々naddist読みながら「チン」してください。
-----------------------------------------------------nad
●うさぎ様(現クミン)
今日、六甲道商店街を通る時にことぶき書房に閉店のチラシが貼っ
てありました。3/20でお店を閉められたそうです。
思えば小学校のころから立ち読みのできる本屋さんとして、六甲に
なくてはならい存在でした。
私の愛蔵板の漫画のいくつかはあそこで買ったものです。
お隣のタコヤキ屋さんと一緒に夜中までがんばって、夜遅い勤め人
の胃袋と心を満たしていたのに。
本当に残念です。
こころなしか、お隣のタコヤキやさんが小さく見えました。
情報ありがとうございました。
町本屋がまた一軒なくなりました。
商店街に本屋がないと、締まりませんね。
六甲道の町本屋さんは第一次再開発メモリアルビル、メイン六
甲の「雄倉書店」さんと、八幡線の奇跡「宇仁菅書店」さん位
になってしまいました。
たこやき「バンバン」さんにはがんばってもらいたいです。
-----------------------------------------------------nad
============================================================
● naddist NEWS ●
============================================================
● 「栄珍」閉店 ●
八幡神社南、参道前の小さな小料理屋「栄珍」さんが閉店しました。
「なくなるかも」情報が入った今年の2月に初めて行きました。
「あったかいうちにはよ食べ、はよ!はよ!はよー!」
という六甲の母系接客を体験させていただきました。
ここから巣立っていった「元学びクミン」も多いと聞きます。
有志による「さよなら栄珍」企画もあるようです。
「歴代寄せ書き照明展示会」とかあるかもです。
興味ある方はご案内いたしますので、naddistまでご連絡ください。
これで「灘伝説のABC女将」のうち、A(栄珍)とC(クラブミレー)
が消えた事になります。残りは「阪急西灘」のB(文福)です。
最後に『コウベ居酒屋ガイド(神戸新聞出版センター、1985)』
から紹介文を引用させていただきます。
「(前略)手間隙かけてつくられる季節の小料理には、女将の心が
こもっていて一つ一つが味わい深い。飲み過ぎたお客には、大きな
梅干しがそっと出される…」
============================================================
naddist発行の「トップシックス」は皆様からのメールです。
お気軽に「町話」「感想」お寄せ下さい。
naddistへ、ご意見ご感想、情報メールをお送り頂く時は、
・「なだっちゅーの」(読者お便りコーナー)への転載の可否
・転載の条件(匿名希望、ハンドル名等、URL載せる事も可能です)
・現在住んでいる所(もしよろしければ)
・灘区との関わり(適当につけて下さい)
(例)元クミン:元灘区在住
現クミン:現灘区在住
(クミン=区民ではないので、他地区の方大歓迎)
等を明記して頂ければ幸いです。
------------------------------------------------------------
naddistは皆様の電子レンジです。
------------------------------------------------------------
ご意見ご感想は eken@pp.iij4u.or.jp までお願いします。
------------------------------------------------------------
naddist [Kapsel naddism] 0000009510
produced by "naddism Edit."(@parabolart)
e-mail "eken@pp.iij4u.or.jp"
------------------------------------------------------------
powered by "magmag" www.mag2.com
...02041-121
...
...naddism Edit.
■CONTENTS==================================================
・愛と幻想のナディズム02
▼ポストモダニズム(または阪急六甲と鯖の味噌煮)
・なだっちゅーの!97
▼元外大クミン
▼「ことぶき書房」閉店
・naddist NEWS(naddistからのお知らせ)
▼「栄珍」閉店
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新年度早々の宝塚ファミリーランド閉園ショックにうちひしがれる
今日この頃皆様いかがおすごしでしょうか。
今回は帰ってきた灘文学、 元・学遊飲住愛憎喜怒哀楽クミンの
DECOさん作「愛と幻想のナディズム」をお送りいたします。
今回もたくさんのキーワードがちりばめられています。
深読み、浅読み、各自のスタンスでお楽しみください。
====================================愛と幻想のナディズム02
SCENE2●ポストモダニズム(または阪急六甲と鯖の味噌煮)
TEXT:DECO
元・学遊飲住愛憎喜怒哀楽クミン
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前回言い忘れたが、この一連の物語の50%はフィクションであり、
残りの50%は著者による幻想または妄想である。
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そのとき僕は、阪急六甲近くにあるビルの6階のバーで、ラフロ
イグのオン・ザ・ロックを飲んでいた。隣には、艶やかな髪と聡明
そうな額を持った美しい女がいた。残念なのは、彼女が僕の連れで
はないことだった。窓越しには、1000万ドルと称揚される夜景が広
がっていた。激しい雨で霞んだ夜景は、800万ドルくらいに見えた。
僕は煙草に火を点けると、スーツの内ポケットから、つい先ほど
「アンカーレット」の前で拾ったばかりのポストモダニズムを取り
出した。舗道に打ち捨てられていたそのポストモダニズムは、雨に
濡れてずいぶんくたびれていたが、そのくたびれかたはある種の人
々を惹きつける、何かがあった。それはいったい何なのか? 目下
の僕の課題は、その問いかけの中にあった。
*
僕の家には3つのポストモダニズムがあった。1つは六甲道の「喫
茶ヒュッテ」の前で見つけ、もう1つは「南天荘書店」のブックカ
バーに貼り付いていた。3つめは、当時、深田町に住んでいたガール
フレンドがプレゼントしてくれたものだ。大きさも色もまちまちで、
共通点と言えば、唯一それが「ポストモダニズムである」というこ
とだけだった。
驚くべきことに、「灘図書館」にはポストモダニズムに関する文
献がいくつかあった。中でも神戸商工会議所東神戸支部が編纂した
『われらがポストモダニズム』は秀逸だ。そこでは、実に数百種に
もおよぶポストモダニズムのサンプルが紹介されている。それによ
ると、僕が所有しているポストモダニズムはすべて1980年代中頃の
もので、「資料的価値は薄弱だが、そのポップな感覚と意外性は今
なお魅力的な輝きを放っている」。
文学の分野においても興味深い書物がある。特に『さらば愛しき
ポストモダニズム』は、「ポストモダニズムとは鯖の味噌煮である」
というエキセントリックな一文で始まることで話題をよんだ。その
著者アンソニー・ハーヴェイ氏は昨年来日し、六甲道勤労市民セン
ターで「ポストモダニズムは炊き込みご飯ではない」という講演を
行っている。
*
僕は、すでに所有しているポストモダニズムと、さっき拾ったば
かりのポストモダニズムを頭の中で比べてみた。やはり共通点は思
い浮かばなかった。それらがポストモダニズムであるという一点を
除いて。
「それ、ちょっと見せて下さらない?」
僕は我に返り、その美しい声のする方に顔を向けた。艶やかな髪
と聡明そうな額を持った女性が、カラになったワイングラスを片手
にこちらを見ていた。僕は黙ってポストモダニズムを差し出した。
彼女はそれをいろんな角度から眺めたり、爪の先でコツコツと叩
いてみたりしていた。やがて、おもむろにハンドバッグを開けると、
中から何かを取り出した。
そして、「ねえ、もしよかったらなんだけど、これと交換しても
らえないかしら?」と言った。それは見事なモダニズムだった。
僕はとっさに「もちろん」と答えた。そんなにすごいモダニズム
はこれまでに見たことがなかった。
「でも、いいのかい?」僕は少し不安になって訊ねた。
「いいんです。わたしポストモダニズムをひとつも持っていなくて」
「なるほど。やはりひとつくらいは持っておきたいものね」
僕は同意した。
「ありがとう」彼女はそう言って、大事そうにポストモダニズムを
ハンカチにくるんでバッグにしまった。そして、「おやすみなさい」
と言うと、阪急六甲以北的微笑みを残して、優雅に店を出ていった。
あのポストモダニズムが僕を惹きつけた理由を、僕はそのときよ
うやく理解した。
問題は―――、僕が彼女の名前を訊き忘れたことにあった。僕はチ
ェックを済ますと、あわてて1階に降り、彼女の姿を探した。六甲
山の方にも、八幡神社の方にも、(有)せかい書房の方にも、彼女
は見当たらなかった。
僕はあきらめて、彼女にもらったモダニズムを見つめた。でもそ
れは、もはやさっきのモダニズムではなかった。もちろんポストモ
ダニズムでも鯖の味噌煮でもなかった。強いて言えば、それは彼女
が手にしていたカラのワイングラスによく似ていた。
雨足はさらに強まり、夜景は780万ドルくらいにまで下落していた。
(つづく)
------------------------------------------------------------
DECOさん、ありがとうございました。
またまた何の事やらわからない…いや読者の想像を喚起するストー
リーでした。
大阪万博(1970)で衝撃的なモダニズムの洗礼を受けた私にとって
のモダニズムは四角や丸の「なんか明るくてカッコイイデザイン」
でした。
六甲山にある「十国展望台」を見て「灘のパビリオンや!」と思っ
てしまう素直な灘っ子でした。
ついでにいうと、篠原北町の安藤忠雄設計のモダンな「六甲アパー
トメンツ」も王子動物園の「カバ舎」もいっしょなのです。
同じく安藤氏の設計による「OLD NEW」ができた時も「カバ舎で酒
のむんけ」と思ったくらいです。
そういや新在家に安藤氏設計の風呂(クアハウス)ができましたね。
「なんや、イルカ池かいな」と思ったりして。
灘のポストモダニズム。
高尾通の「○○物チンレツ罪系マンション」西灘の「パパとママの
店のファサード」や大石の「聖母地蔵尊瓦せんべい」とかはどうで
すか?
ポストモダン…かどうかわかりませんが、
灘浜にあった出光の石油タンク。
その姿は一見モダニズムなパビリオン風なのです。が、ポイントは
壁面に入れられたアフリカ呪術系日石コウモリマーク。あれは大阪
万博で見た「太陽の塔」に通じる物がありました。
ポップと言えばポップなのですが、
「こわい…」
そうとても怖いものなのでした。特に夜、「篠崎倉庫」の獣皮の香
りが加わると…おっとこれから先は灘ネタ「灘浜夜の湾岸ミンパク」
にてお送りいたします。
※モダニズム・ポストモダニスムに関してはこちらのサイトをご参
照ください。
http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/artwords/k_t/post_modernism.html
(Art words-現代美術キーワード)
「阪急六甲以北的微笑み」いいですね。
「国鉄以南的爆笑」に慣れ親しんでいた私にとっては、グッときま
した。
次のイベントは「阪急六甲以北的微笑みコンテスト」かも。
微笑みクイーン及び審査員募集中。
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naddistに頂いた、皆さんからのご意見ご感想や灘情報を
ご紹介する「なだっちゅーの!」を、お送りいたします。
メールを下さった皆様、ありがとうございました。
==========================================なだっちゅーの!97
●まもの様(元クミン)
友人に教えてもらって以来、Naddistをずっと楽しみに読ませていた
だいてます。
まだ六甲病院の上にあった頃の神戸外大に通ってまして、学生時代
は御影公会堂のすぐ上にあったアパートに住んでました。
アメリカに移住してもう15年が経ち、なかなか日本へゆっくり行く
機会がないのですが、外大時代の友人で灘にそのまま住んでいる人
も少なくなく、出来るだけ時間を作って灘近辺に行くようにしてい
ます。
結婚した時に戸籍を元外大の住所にしたので、住民票はありません
が戸籍上は灘区民です。
学生時代に通ったいろんなお店やお風呂屋さんの名前が出るたびに、
いろんな思い出がよみがえってきて、こちらに永住を決めた今でも
ホームシックな気分になります。
これからも楽しみにしています。
海外からメールいただきました。
神戸外大は藤原紀香の親和学園になってしまいました。
御影公会堂も正面だけ残して改装とか。
寂しいなんていったら
「そんなこと言うたら石屋川車庫は牧場やってんで」
などとのたまう灘なオッサンに怒られてしまいます。
でもそれは、ずーっと灘に住んでいるから言えることであって
灘を離れた方々にとってはいつまでも「あの時」の灘のまちが
冷凍保存されていると思います。これからも心の中の灘、大事
にしてください。
で、時々naddist読みながら「チン」してください。
-----------------------------------------------------nad
●うさぎ様(現クミン)
今日、六甲道商店街を通る時にことぶき書房に閉店のチラシが貼っ
てありました。3/20でお店を閉められたそうです。
思えば小学校のころから立ち読みのできる本屋さんとして、六甲に
なくてはならい存在でした。
私の愛蔵板の漫画のいくつかはあそこで買ったものです。
お隣のタコヤキ屋さんと一緒に夜中までがんばって、夜遅い勤め人
の胃袋と心を満たしていたのに。
本当に残念です。
こころなしか、お隣のタコヤキやさんが小さく見えました。
情報ありがとうございました。
町本屋がまた一軒なくなりました。
商店街に本屋がないと、締まりませんね。
六甲道の町本屋さんは第一次再開発メモリアルビル、メイン六
甲の「雄倉書店」さんと、八幡線の奇跡「宇仁菅書店」さん位
になってしまいました。
たこやき「バンバン」さんにはがんばってもらいたいです。
-----------------------------------------------------nad
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● naddist NEWS ●
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● 「栄珍」閉店 ●
八幡神社南、参道前の小さな小料理屋「栄珍」さんが閉店しました。
「なくなるかも」情報が入った今年の2月に初めて行きました。
「あったかいうちにはよ食べ、はよ!はよ!はよー!」
という六甲の母系接客を体験させていただきました。
ここから巣立っていった「元学びクミン」も多いと聞きます。
有志による「さよなら栄珍」企画もあるようです。
「歴代寄せ書き照明展示会」とかあるかもです。
興味ある方はご案内いたしますので、naddistまでご連絡ください。
これで「灘伝説のABC女将」のうち、A(栄珍)とC(クラブミレー)
が消えた事になります。残りは「阪急西灘」のB(文福)です。
最後に『コウベ居酒屋ガイド(神戸新聞出版センター、1985)』
から紹介文を引用させていただきます。
「(前略)手間隙かけてつくられる季節の小料理には、女将の心が
こもっていて一つ一つが味わい深い。飲み過ぎたお客には、大きな
梅干しがそっと出される…」
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・転載の条件(匿名希望、ハンドル名等、URL載せる事も可能です)
・現在住んでいる所(もしよろしければ)
・灘区との関わり(適当につけて下さい)
(例)元クミン:元灘区在住
現クミン:現灘区在住
(クミン=区民ではないので、他地区の方大歓迎)
等を明記して頂ければ幸いです。
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ご意見ご感想は eken@pp.iij4u.or.jp までお願いします。
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